もーあしび日記

日々の話題や趣味など色々と。

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模型市

ここ一週間は、仕事と呑み会ばかりでした。

さて、今日は浜松町の模型市へ。
今回は興味を持つ物が少なかったのですが、なんだかんだで色々購入。

・フクシマ模型製作のDVD(東武)              ¥1,500
・南洋物産製 京阪600系窓ガラスx2            ¥1,050
ガラス

・バスコレ 京都市営キュービック               ¥350
キト市営

・ワールド工芸 東武ED5010(メーカー完成品中古)   ¥6,000
ED5010



合計                               ¥8,900

全部」


東武ED5010は、ホイッスル欠品もまぁ良い買い物。
ED5010-2




某氏ルートで壬生で売った東武バスコレも買ったので、東武が多いの買い物になりました。

さて、CKCメンバーと合流し、いつもの呑み会へ・・・。

乾杯


結局、工作無しの一週間になりました。

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  1. 2008/04/27(日) 22:58:02|
  2. 日々の事
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運転会

今日は所属するクラブの運転会があり、川崎まで行って来ました。

線路もたっぷり設営して・・・・

運転会 エンドレス


運転会開始です。

複線エンドレス×2に、友人が製作した小型車用の路面モジュール付き複線エンドレス×1です。

しかし、今回は参加人数が少なく、あまり走らせられないJT(ジョイフル)トレインや・・・

ユーロ


浪漫


長編成の貨物列車をノンビリと運転しました。

タキ


最近は何も完成させておらず、既製品ばかりです。。。



午後からは、モジュールを借りて小型車の撮影会です。

神社の前を行く玉電。

80と神社


この色合いは落ち着いていて良いですね。


懐かしい塗色の都電です。

都電


都電沿線で見られそうなシーンですね。

今回持ってきた車輌の中で、数少ない加工品の伊予鉄道700系です。
もう10年以上前の旧作ですが・・・。

伊予鉄


モジュールの中には、こんな愛らしい光景も組み込まれていました。

バイバイ


親に抱かれて、電車に手を振る子供・・・。
どこにでもある光景ですが、モジュールに組み込まれると引き立ちますね。
作者のセンスの好さが光ります。

有名な自動車修理工場の脇を通過する馬ズラ電車・・・。

鈴木オート


汚れたミゼットが良い味出してますね。

長崎電軌の新・旧車輌の顔合わせです。

踏切 長崎


古い風景の中でも、LRTが似合いますね。

浦上あたりで見られそうなすれ違いシーンですね。

長崎


嵐電と京阪バス。

京福


京都のどこかでしょうか?

で、やっぱり並べてくなる車輌です。

京阪


今回も存分に楽しみました。
  1. 2008/04/20(日) 23:36:52|
  2. 運転会
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リベンジ601

先日の公休日、嫁の機嫌が悪かったので早々に逃げ出し逗子の第一運動公園を再訪しました。
先のブログでも書きましたが、晴天の日にしか公開しないそうで晴天の今日再訪した次第です。

前回入れなかった柵の中へ。

海


ドアも開いており、車内公開もしています。

早速、車内に入ってみました。

600車内


行楽特急を意識したボックスシートの車内は、今の電車には無い落ち着きがありますね。

枕部分には凝った模様が付けられており、昨今の合理主義の名の下では芽生えない良さがあります。

柄


ボックごとに区切られた網棚が珍しいですね。

網棚


扇風機が失われているのが残念です。

運転台です。
マスコンとブレーキ弁は残っていますが、取れるものは全部持って行かれたような状態でした。

M台


公開をしながら、良い状態を保つのは難しいと思いますが、悲しい状態です。

床下機器などの車外を見学します。
模型作りでも、なかなか資料が見つからない箇所なので、保存車輌の存在は非常に助かります。

MS


kiki箱


妻面です。

妻


残念ながら、妻面の銘板は失われていました。
検査表記の5-10は、平成5年に補修したという事でしょうか?
ちょっと気になりました。

山側


こちら側は、傷みが酷いです。

しっかりと、駅名板型の説明板も設置されていました。

看板


この車輌を設置した当時の力の入れ方を象徴するような看板ですが、今となってはこの車輌の設置経緯すらはっきりせず荒れ果ててしまっています。
前回、柵の外から見た分には良い状態と思えましたが、車内や反対側、床下などの腐食も進んでいるようで補修には相当な費用がかかりそうです。

末永く保存される事を願いたいのですが、いつ解体されてもおかしくない状態でした。
鉄道車両の保存の難しさを見せ付けられたような気がしました。
  1. 2008/04/18(金) 18:48:15|
  2. 日々の事
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モジュールを進める

しばらく放置されていたモジュールを進めます。

道路と整備ハンガーになる部分(舗装部分)に適当なボール紙を貼ります。

モジュ道路貼り付け


少しは概要が見えてきましたかねぇ・・・。
次に土となる部分を作る訳ですが、初めてTomixのプラスターを使ってみようと思います。

便利なプラスター


50%の水と少量の木工用ボンドで溶けば良いそうですが、もう少し水が必要でした。
土となる部分に盛ります。

プラスター盛り


意外と使いやすいですね。

調子に乗って、線路の際まで・・・。
バラストが少なくて済むし・・・との安直な考えもあります。

際まで・・・・


この後、しばらく乾燥させて道路部分にはサーフェーサーを刷毛塗りしました。





  1. 2008/04/17(木) 22:18:41|
  2. 四宮技術区(保線・電力)
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鴨サブレー

最近はバスコレの影響で陰が薄くなりましたが、長年NゲージのバスといえばTomixの『三菱ふそうバス』でした。
自分がNゲージを始めた20年以上前から既に販売されていました。
後年、未塗装キットも出て数年前までは、これかTomixの富士重工バスをご当地カラーに塗り替えれば納得されたものです。

MR-410


この製品には方向幕や広告板のデカールが付属しており、ちょっと貼ってやるだけでバスらしくなります。

広告の方には、ありそうで無い洒落の効いた物が多く好感が持てます。
その中の一つが『鴨サブレー』。

鴨サブレー


鳩サブレーのパロディなのでしょうが、果たして『鳩サブレー』の広告を付けたバスなんてあったかなぁ???との疑問が浮かびました。
『鳩サブレー』といえば地元では有名なお菓子ですが、バスに広告を出すような大々的な宣伝をしていたかなぁ?・・・・と。

疑問解決の為、『鳩サブレー』の製造元・豊島屋がある鎌倉まで現地調査へ赴きました。

鎌倉駅近くで待っていると、走ってきた京急バスに取り付けられていました。

KHKサブレー


でも、この位置では模型で再現できませんね~。
できれば、ホイールベースの間に・・・と、さらに探すといました。

鳩サブレ


取り付けられる場所は違っていても、実車では同じ大きさのようです。
鎌倉駅近辺を走る他の事業者は・・・と、いう事でオレンヂバス(何十年前の言い方ぢゃいw)の方も探してみると・・・
いましたね~!!!

オレンヂバト


発見場所は大船駅でしたが・・・。

さて、実際にいると分かったら再現してみたくなるのがモデラーの性。

と、塗り替えだけで済むTomixの富士重工バス(日産UA440・7E)を塗り替え、江ロ電バス風にデッチ上げた物(6・7年前の作)を引っ張り出してきました。

7E EER


横からも。

7E EER 横


結構、サマになってるじゃいですかッ!!!
自我自賛w

そうなると、京急も・・・となるのですが、残念ながら京急バスの塗り替え品は作っていません。
ならば・・・と、引っ張り出してきたのがコレ。

古(いにしえ)のカラーの三菱ふそうバス。

MR-410 初期型


このカラー、どっかで見た事あると思いませんか??????
横浜育ちの私は、横浜市営と、京急の赤バスをアレンジしたのでは・・・と考えてしまいました。
ある資料によると、京急・鎌倉営業所にも数は少ないながら赤バスのMAR(MRのアエサス車)がいたそうで、こんな事もあったのかも・・・と再現してみました。

●浜●行 MR410


デカールの中には、『貸切観光は市営バス』なんて広告もあり、『鴨サブレー』共々横浜市営と京急バスを意識していたような気がしてなりません。

みなさんは、どう思われますか?
  1. 2008/04/17(木) 21:24:24|
  2. 自動車部
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あやはし海中ロードレース

沖縄も4日目。

今日は義父との“約束”を実行する日です。

義父との“約束”とは、『第8回あやはし海中ロードレース』のハーフ・マラソンに参加する事。

義父は、趣味の一つにマラソンがあり、今まで各地のレースを走って来たベテランランナーなのです。
今日(4/6)に行われる『第8回あやはし海中ロードレース』は、当日参加もできるそうで、着いた日にお互いに酔った勢いで参加する約束をしたのです。

私は運動音痴そのもので、運動不足のままハーフマラソンに出走するという暴挙に出る羽目に・・・。

今回走るルートは、うるま市の屋慶名(やけな)競技場から、海上にかかる海中道路大橋を通り、平安座島で折り返し途中、浜比嘉大橋を通り浜比嘉島で再び折り返して屋慶名競技場に戻る21.0975kmのコースです。

このコースは、海中道路からの景色が素晴しく景色を見るだけでも参加する価値がありそうです。

とりあえず完走目指し、義父と私の他、嫁の妹とその彼氏も出走する事になりました。

9:00のスタートなので、6時過ぎには起きて準備します。
嫁は、前日の結婚式で3時過ぎに帰宅したようで爆睡中です。

義父は私たちのエントリーの為、先に会場に行きました。(元気ですね~)

途中、渋滞もありましたが無事にスタート時間に間に合いました。
競技場のスタンドに荷物を置き、スタートラインに並びます。


昨日買ったランニングシューズの靴紐を締め、定刻の9:00になり一斉にスタート!!

あやはし


競技場を出てすぐの場所では、地元の子供たちがエイサー太鼓で盛り上げます。

間もなく、海中大橋へ。
暫く上り坂が続きますが、会場の綺麗な風景が見えて来ました。

義父や、嫁の妹は少し前を走っています。
いや~鍛えている人は違いますね~。

走っているつもりなのですが、前も後も右も左も人・人・人・人・・・・。
歩幅の大きい私は、歩いているような状態です。

海中大橋のサミットを過ぎ、少し人がバラけてきたので走ってみました。

欲を言えば風が欲しいのですが、海の上を走るのは実に気持ちの良いこと!!!


今日の気温は26度。
すぐに汗が噴いてきます。
たまに吹く風が心地良く感じます。


熱中症にならないように水分を補給したいのですが、給水ポイントまではまだ先のよう・・・。
少し歩く事にしました。
早くも後半に備えて守りに入ります。

給水所で水を飲み、スポンジで顔を拭きすっきりして軽いジョギングのような走りと歩きを繰り返します。

歩いている時に一緒に走ってきたおじさんから、

「競歩やってるの?早いね~」

と驚かれました。
普通に歩いているだけなのですがね・・・。


景色は綺麗なのですが、海の上なので変化に乏しく進んでいるのか遅れているのか皆目検討がつきません。

海中大橋を渡りきり、平安座(へんざ)島に入りました。
折り返し地点までもうすぐ・・・と思うと力が入ります。

しかし、ここからが長かった・・・・・。

行けども行けど折り返し地点が見えて来ません。
ひたすら先に進みます。

ところどころで、地元の方が応援してくれたり、給水ポイント以外でも黒糖や飲み物を渡してくれます。
小さな子供が、「がんばってくださ~い!!!」と、一生懸命に水を配る姿をみると、こちらも頑張らないと!!!!

平安座島の特徴の一つである大きな石油基地が見えて来た頃、折り返しのランナーと初めてすれ違いました。

さて、もう少し・・・・。
ここからが、また長かったのです。
ひたすら石油基地と防波堤の間を走りながら、内地にこんな大きな石油基地があればタキ車(タンク貨車)が犇くヤードがあるんだろうなぁ・・・なんてアホな事を考えが浮かんできます。

ようやく大きなパイロンが見えてきて、折り返し地点です。

折り返して暫く走っていたら、嫁の妹と彼氏とすれ違いました。
何時の間にか抜いていたようです。
それにしても仲イイなぁ~。
ウチら夫婦ならまず一緒に出ようなんてならないもんなぁ・・・。

給水所では必ず水を補給しますがカップ一杯も飲みきれず、残った水は頭にかけて文字通り頭を冷やします。

再び海中大橋が見えて来て、後は真っ直ぐ競技場へ・・・と思った頃に大きく左に曲がり、浜比嘉大橋の上り坂にさしかかります。

相変わらず風も無く、ジリジリと太陽が照り付けてきます。

暑い・・・・・・・・。

橋を渡りきり文字通り浜比嘉島に足跡だけ残して、再び浜比嘉大橋を渡ります。
ここで、もう一度嫁の妹達とすれ違いました。


橋の上り下りが続いたので、足に負担がかかります。
それを知ってか、沿道でスプレー式のサロンパスを振ってるオバサン集団が・・・。
あいがたくお願いし、脹脛にスプレーしてもらいます。

ダラダラと海中大橋の上り坂を走ります。
正確には80パーセント位の割合で歩いてますw

途中で受け取った、水の染みたスポンジを帽子と頭の間に挟み走り続けます。
ホント熱中症になりそう・・・・。
途中、救急車が何台も追い越して行きます。
この暑さでは、無理ありません。

行きと同じ場所で、応援を続けてくれている方を多く見受けます。
暑い中ずっと応援していただいてつくづく感謝です。

15km地点の看板が見えたあたりで、左足に痛みが・・・。
靴擦れをおこしたようです。
急遽走ると決まったので、昨日慌てて購入した下ろしたての靴が災いしました。。。。

あと5km。
リタイアしても誰も文句は言いませんが、今まで走ってきた15kmが無駄になるような気がして・・・・。
無理はいけませんが、靴擦れ程度なら歩けない程の重症でもないし行ける所まで走ってみる事にしました。

あと5kmならなんとか・・・・。
ペースは落とさないでいるつもりですが、なかなか1kmが進みません。
かなりペースが落ちているような気がします。

前半ではありがたかった風が向かい風となり吹き続け、行く手を阻みます。

どうやら海中大橋を渡りきり、いつの間にか20km地点の看板が見えて来ました。

もう義父はゴールしているんだろうな・・・・。

足の痛みも増したようですが、もう一踏ん張り!!!

競技場が見えて着ました。

あと少し・・・!!

残りは僅かながら、競技場の入り口までが長い!!!!

競技場に入り、トラックを走ります。
少しペースを上げようとしても、なかなか上がりません・・・。

あぁ・・・あと僅か・・・・。

なんとか、ペースを上げて・・・

ゴ~~~~~ル!!!!!!!!!

21.0975kmを走り切りました!!!!
タイムは2時間25分でした。


暫くは、トラックの内側の芝生で休み、荷物を置いたスタンドへ向かいます。
スタンドには誰もいません。

あれ??????

義父の姿がありません。
嫁の妹達とは2回すれ違ったのですが、義父は背中を見ただけですれ違った記憶はありません。

少し席を外しているのだと思い暫く待ってみましたが、戻って来る気配
はありません。
嫁の妹達も戻ってきたので義父の携帯電話に電話してみたら、まだ残り2kmとの事。

意外な事に、何も準備をしていなかった自分が1番早く戻ってきのです。
自分でもビックリしました。

間もなく義父もゴールし、4人無事に完走しました。


今回は完走しましたが、次に向けて少し鍛えようとつくづく思いました。


さて、翌日は午前中の便で沖縄から帰宅しました。

帰るよ


今回は、いろいろな意味で濃い沖縄旅行でした。
  1. 2008/04/16(水) 00:14:27|
  2. 日々の事
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うふあがりじま

さて、沖縄3日目は、嫁が友人の結婚式に参加するので自分は1日フリー。
明日は義父との“約束”があるので、自由な時間は今日が最後です。

なら、日帰りでどこかの離島へ行ってみましょうかねー。
実は、沖縄の離島は渡嘉敷島に一回行った事がある以外は全く行っていません。

とりあえず空港目指して、今日も朝からバスへ。

愛知


古島駅で乗り換えて、那覇空港へ。
さて、何処の島にゆきますかね~。
宮古・石垣あたりなら、今後も行きそうなので、先ずなかなか機会無さそうな南大東島か、粟国島へ。
粟国は飛行機が小さいけれど、午後の程よい時間に那覇行きのフェリーもあるので、島に取り残される事は無さそうです。
しかし、飛行機は天候調査中とのアナウンス。
帰りの飛行機が満席なら島に取り残されるリスクはあるけれど、今日の帰りの便には空席がある模様です。
それなら・・・と、南大東島に決定しました。

琉球エアーコミューター(RAC)のカウンターで航空券を購入し、空港のA&Wで新聞を読みながら朝食。

AアンドW


A&Wは、日本では沖縄にのみ店舗のあるファーストフードで、大きなハンバーガー、濃い味付けのカーリーフライ、濃いオレンジジュース等独特のメニューです。
値段は高いのですが、マックより旨い!!!
高い値段を出すだけの価値はあります。

新聞一面は、昨日優勝した沖縄尚学がデカデカと載っています。

チケット


一緒に写っている航空券は、コンピューターで発券されていますが磁気の入っていない物でした。
昔のマルス券みたいですね。(←分かる人には分かるネタ)
裏は、お約束の文章ですね。

チケット


早目に手荷物検査を済ませて、駐機してある飛行機を眺めます。

38人乗りのボンバルディアDHC-8-100ですね。

DHC-8-100


RACの主力機ですね。

やたらと小さい機体は、BN(ブリテン・ノーマン)の アイランダーもいますね。

BN


定員9人。
しかも、9人目は機長さんの横の席です。
今日は欠航になりましたが、粟国行きの機体です。
いつかは乗ってみたいですね。

さて、南大東行きRAC861便の搭乗口は28番。
普通の搭乗待合室から階段を降りた場所でした。

改札口には自動改札機も無く、係員が半券(磁気券と違って小さい方)を切り取ってくれます。改札を通るとバスに乗せられ、飛行機の駐機場所まで移動します。

待っていたのは、最新の50人乗り・DHC-8-300でした。

DHC-8-300


南大東島便は、観光客は少ないものの、島民と工事関係のビジネス客で需要の高い路線だそうです。
島民と思われる顔見知りの同士で会話している人や、工事関係者と思われ作業着姿の人が大半です。
観光客と思われる乗客は、カメラを下げた夫婦連れと、大きなリュックを背負った若い女性位です。
そんな中、軽いショルダーバック一つの私は、かなり浮いた存在です。

ドアが閉まると、客室乗務員によるエマージェンシー・デモ。
小さいとはいえ、やることはジャンボ機と同じです。
程なくエンジンの音が大きくなり右側のプロペラが回り出します。
エンジンの振動が機体全体に伝わる感覚は、今は無きYS-11通じるものを感じます。
左側のプロペラも回り出し、短い滑走で飛び立ちました。

今から行く南大東島は、沖縄本島の東約400kmの海上にある大東諸島(他に、北大東島・沖大東島)の中で一番大きな島です。
東西5.78km、南北約6.54km、周囲20.8km、面積は30.57平方kmのやや長方形をしています。
珊瑚礁が隆起してできた島で、周囲は15~30mの絶壁で囲まれ、島の周囲より中央部の標高が低くおわんのような独特の形態です。

古くから『うふあがりじま』遥か(=うふ)東(=あがり)の島と呼ばれ、存在は知られていたものの長らく無人島でした。
明治18年に沖縄県庁の探検により日本国標が建てられ沖縄県に所属した後、何度か開拓を試られるも失敗に終わりました。
その後、八丈島や鳥島で絹織物業・羽毛の採取で巨万の富を得た玉置半右衛門にて開拓され、八丈島や八重山・宮古から労働者が入植し黒糖製造を主産業として発展しました。
昭和21年に村政が敷かれるまでは、玉置商会から東洋精糖、日糖と持ち主は変わるものの会社の私有地とされ、学校・警察・消防・郵便等も全て会社の私営で行われ治外法権的な独立国家の様相を呈していました。
戦前、この島を支配していた大日本製糖は、「この島こそが植民地経営の最も貴重な参考資料である」と自画自賛していたそうです。

農民は小作農でしたが、昭和39年に悪名高きキャラウェイ高等弁務官の意向で、土地所有権は農民にある事が認められました。
現在では、一戸あたりの農作面積が大きく、沖縄の市町村の中では世帯あたりの収入が一番高くなっているそうです。

この島は絶海の孤島ゆえ独特の自然が多く残っているそうで、ダイトウオオコオモリや、大東島東海岸植物群落等特徴的な自然が多く残っています。

さて、今回の来島の目的は、廃線跡!!

こんな最果ての島に鉄道が?と思われるかもしれませんが、サトウキビ運搬の為の762mm軌間の専用鉄道が30kmあまりも敷設されていたのです。
明治35年に製糖の始まりとともにトロッコ用鉄道が完成してし、大正6年に762mm軌間に改軌して本格的なサトウキビ運搬鉄道となりました。
動力は蒸気機関車でしたが、昭和31年からはディーゼル機関車も導入され昭和58年まで運転されていました。
サトウキビ運搬用とはいえ、客車もちゃんとあり島民の足となっていたようです。

鉄道趣味人でこのさとうきび列車(シュガートレイン)の存在を知る人は多いのですが、島までのアプローチが難しく行く人は少ないようです。
この島への交通は、1日2便の那覇からのRAC便と、那覇・泊港から月数回の運航される客貨船『だいとう』のみです。
RAC便は、安い時季でも片道15,000円以上はしますし、『だいとう』は運航は天候に左右されやすく就航回数も安定していないそうです。
また、台風シーズンになると、空路も海路も欠航率が高くなりさらにアプローチが難しくなるそうです。
それでも、平成9年に開港した新空港により、飛行機が19人乗りのDHC-6ツインオッターから39人乗りのDHC-8-100になりだいぶアプローチがしやすくなりました。

ちなみに、南大東島には気象庁の観測所があり、台風シーズンには必ず名前が出てきます。

「間もなく当機は南大東空港に着陸いたします・・・」
のアナウンス。

窓の下を見ると、岩礁に囲まれた小さな島が見えました!!
飛行場の滑走路も見えます。

あれが憧れていた南大東島だ!
いよいよだと思っていたら、飛行機は島の上を通り過ぎて行きました。
ずいぶんと大きく旋回するなぁ・・・と思っていたら、そのまま高度が下がり着陸しました。

初めに見た島は、北大東島でした。
南大東島と10km先の北大東島の間にも定期航空航路があり、この路線は世界最短の路線だそうです。

さて、南大東島に到着です。

DHC-8-300/2


モダンな建物ですね。

空港


受け取る手荷物も無いので、そのまま出口へ。
島にいる間の足として、レンタバイクを借りようと思います。
しかし、観光案内のカウンターも無くどうしようかと思い売店のお姉さんに聞いてみたら、
「集落のある場所までは、歩くと40分位ですけど、あそこにいる民宿の方が500円で送ってくれますよ。」
との事。

とりあえず民宿のおっさんにお願いし、集落のある在所まで送ってもう事にしました。

同じ飛行機に乗っていた、夫婦連れと若い女性と一緒に泥だらけのワゴン車にの乗せられ10分ほどで在所に着きました。
自分以外の2組は、宿泊客のようで民宿の中へ入って行きました。
おっさんに500円払いました。
白タクのようですが、バスやタクシーの無い地域で行われる有償輸送という方法です。

おっさんに聞いたレンタバイクの場所を訪ねてみます。
戸が閉ざされて留守のようです。迷っていると、新聞配達のおばさんが、
「今日は、那覇に行っていて留守のはずよ。バイクならあっちのパン屋さんで借りれるよ。」
と、教えてくれました。
何故、パン屋がレンタバイクなのか分かりませんが、行ってみたら・・・
「ウチ、バイクやめたのよ。学校の前にある車屋さんで・・・」
と、ここでも空振り。
3件目の車屋(整備工場)でバイクを借りたい旨を申し出ると、
「隣の電気屋で・・・」
と、言われるままに電気屋で手続きをすると、整備工場からバイクが出て来ました。
看板には同じ苗字が記されていたので、島の機械屋さんという事なのでしょう。

早速、バイク(原付)に乗って、廃線跡を探しに出発!!

[うふあがりじま]の続きを読む
  1. 2008/04/14(月) 19:21:36|
  2. 日々の事
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gino-1 歴史探索

『結い』…人と人の結び付きを表す言葉。
沖縄では特に強く、親戚ともなればさらに強くなります。
そんなわけで、嫁と沖縄に来たら1日は親戚廻りの日となるのが通例です。
今日はそれに当てても良いなぁ…と考えていたのですが、嫁は明日行われる結婚式の余興の打ち合わせだそうで予定が無くなりました。 (ラッキ~!!!!!(゜∀゜)v)

今まで行く機会が無かった、県立博物館や識名園等に行ってみる事にしました。
沖縄の嫁と付き合ったが故に、観光客として沖縄を知るより前に沖縄の生活を知ったような感があります。
20回近い来沖経験がありながら、メジャーな観光地を意外と行っていません。

宜野湾から那覇まではバス移動になります。
朝ながら、もう暑い・・・。
ま、“赤道”直下だから無理ないね…。

赤道


待つこと暫し。
開いた窓から心地よく風の入るバスに揺られ、第一天久で降りて県立博物館へ。


博物館


昨年11月に首里より移転してオープンした新しい博物館です。
残念なことに、案内が少なく入口がわかりにくく建物を一周させられました。
館内は新しいだけあり、原始時代から現代まで多数の資料で沖縄の歴史の変遷を展示しています。
近世の展示では、1/48・16.5mmで作られた模型を中心に沖縄県営鉄道を紹介したコーナーもありました。
沖縄の歴史は、世代わりの歴史と言われるように尚家の独立国家(ウチナー世)、薩摩・日本(ヤマト世)戦争(戦世)・アメリカ(アメリカー世)に支配を受けた複雑な歴史は考えさせられます。
この博物館のスペースでは小さ過ぎる位でした。

展示を一通り見学し、おばさんが一人で店番するミュージアムショップへ。
何か買おうというより、大音量で流れるセンバツ高校野球決勝戦・聖望学園対沖縄尚学戦が気になったのであります。

気になるのは本を読みながら店番をしているおばさんも同じようで、試合が動く度に本から目が離れてラジオを睨みます。
沖尚は好調のようです。

さて、識名園に向かうべくおもろまち駅へ。
途中のサンエーメインプレイスまえのウェーブビジョンでは、通りがかりの人や警備員、ビラ配りのねーねー等多くの人が試合に見入ってました。

沖縄尚学


沖縄尚学が点を入れる度に、大歓声や拍手が起こります。
2イニング程観戦し、おもろまち駅へ向かいました。

途中、あるものが目に留まりました。
15m程のコンクリートで固められた高台です。もしかして・・・。
新しい店の並ぶ新都心で明らかに異様な物です。
高台の横にある長い階段を登り、頂上まで上がってみると説明盤がありました。
それによると、この場所は太平洋戦争中激戦地であった『シュガーロフ』という丘で、戦争の惨状が解説されていました。
やはりそうだったんだ・・・。
『シュガーロフ』という名前だけは知っていましたが、以前から何度も通った新都心の入り口にあったとは気付きませんでした。

『シュガーロフ』という名前の由来は、丘から染み出る血糊をジャムに見立てたことだそうで、戦闘の激しさを物語っています。
『シュガーロフ』の真向かいに、今話題のDFSや煌びやかな街が並び大きなギャップを感じずにはいられません。

『シュガーロフ』から、軍の本部があった首里城を望みます。

シュガーロフ


基地の問題を考えると平和な街とは言い難いのですが、戦争の惨事が二度と繰り返されない事をただただ祈るばかりです。

さて、おもろまち駅へ。
歩いていたら、腹が空いてきました。
ベタだけれど、沖縄そばを食べたくなり店を探します。

そば屋を探しながら歩いていたら、いつの間にか安里駅前に。
栄町市場の入り口にある沖縄そば屋に入り、そば付きの定食を食べながら野球中継を見ます。
沖縄尚学は、0点を守りなおも好調。
ここでも、沖縄尚学のチャンスになると歓声が上がります。

ここまで沖縄尚学が好調だと、優勝の瞬間を多くの人と分かち合いたくなってきました。
そば屋を出て、予定変更。沖縄一の繁華街パレットくもじ前で観戦することにしました。

走る車の台数も少なく街中が静まり返っていますが、野球中継だけはどこからでも聞こえて来ます。

横断歩道を隣で待つおばさんはワンセグで見入っていますし、 ガソリンスタンドからは大音量で中継が流れてきます。
工事現場では作業員が手を休めてラジオに聞き入り、学校では職員室の先生が総立ちでテレビ中継に見入ってます。(←外から丸見えw)

沖縄のみんなが、沖縄尚学を応援しています!!
ちばれーよ(頑張れよ)!!!
沖尚!!!

沖縄の結いの強さをつくづく実感します。

途中、沖縄尚学高校近くの与儀公園に寄り道し、公園に保存されているD51を見に行きます。

D51


蒸気機関車を見たことの無い沖縄の子供たちへのプレゼントとして、九州の国鉄職員がカンパをして沖縄へ贈ったものだそうです。
塗装が少々荒れていますが、丁寧に保存・管理されているようで、部品の盗難や落書き等荒らされてはいません。
ちなみに、沖縄出身のアーティストD-51はこの機関車から名前を付けたそうで、国鉄職員達の想は伝わっているようです。

さて、パレットくもじ前に着いたら、試合も終盤。

沖縄尚学2


多くの人が見入っています。

パレット


ただ地元の高校というだけでなく、皆が自分の事のように応援しています。
これも、沖縄の人の結いの強さなのでしょう。

9回表、最後の一球がストライクに決まり沖縄尚学の優勝が決定しました!!
大歓声が起こり、隣同士見知らぬ者どうしが握手やハイタッチで喜びを分かち合っています。
我がことのように涙を流す人もいます。
とても良い光景を見ることができました。。

時計を見ると、3時近く。
調べてはいないませんが、識名園は時間的に難しそうなので予定を変更し、 那覇バスターミナルからバスで糸満へ向います。


これから、県営鉄道の跡を見に行こうと思います。
沖縄県営鉄道は、大正3年に那覇(現・那覇バスターミナル)か与那原まで9.4kmの与那原線が開業したのを皮切りに、同11年に嘉手納までの嘉手納線23.6km、同12年に糸満までの糸満線18.2kmが順次開通しました。
全線762mmの軽便軌道であった事から、『ケービン』と呼ばれこちらの方が通りが良いようです。
軽便鉄道とは言え、バス事業を兼業したりやることは本格的でした。
しかし、太平洋戦争で壊滅的な被害を受け、復旧される事なく廃止されてしまいました。
廃止というより自然消滅的に消えてしまい、普通の鉄道でいう廃止日(運行最終日の翌日)も明確に記録されていません。
書類上では、国鉄民営化の1987年3月31日に地方鉄道法廃止と共に廃止された事になっているそうです。

今乗っている沖縄バスの起源は、戦後開設された県営バスになるそうで 、『ケービン』の通じるものがあります。

長いこと『ケービン』の廃線跡は壊滅的な被害を受け絶望的・・・とされていましたが、それは沖縄自体の認知度が低かったからに過ぎません。今でも一日では見て回れない程残っています。
沖縄県内では、『ケービン』の跡や歴史を記した著書も多くあります。

バスに揺られる事40分。
糸満ロータリーで降ります。

糸満市の中心でありますが、『ケービン』の糸満駅は少し離れた糸満中学校付近にあったようで、これから探しに行きます。

ロータリーから県道77号線を東方向へ歩き、糸満小学校付近で糸満駅跡を探します。
近年になって、糸満駅の便所だった建物が残っている事が紹介され話題になりました。
その写真を見ましたが、朽ちかけておりいつ撤去されてもおかしくないような状態でした。

付近を探しますが、らしい建物が見つかりません。
撤去されてしまったのでしょうか・・・???
不安が過ぎります。

諦めかけて次のポイントに行こうとしたら、その建物の背景に写っていた建物とそっくりの建物を見つけました。
住宅に囲まれた人が一人通れる程度の細い路地を半信半疑で進むと、その建物がありました。

便所跡


近所のおじさんに確認したら、二、三十年前前までは公衆便所として使っていたようだとの事。

個室二つと、小便器が設置されていたであろう跡が残っています。
土台の部分には、戦時時に被弾した跡も残っていました。

糸満駅


トイレ盗撮w

大便器


個室内は、雰囲気が良く残っていますね。

おじさんの話だと、画像の路地が汽車道になるそうです。

線路跡


当時の糸満駅の写真を見ると築堤の上を汽車が走っていますので、周辺の雰囲気と合致します。

沖縄県営鉄道の貴重な遺構ではありますが、住宅地の中にあるので見学する時は、近所の方の迷惑とならないように心掛けてください。

さて、次のポイントへ移動します。

さらに県道77号線を東へ。
照屋(東)交差点付近にある橋台跡を見に行きます。
バス停なら、高嶺入口からすぐの場所です。

この橋台跡は畑の中にありいつ撤去されてもおかしくないのですが、何故か今まで無事に(!?)現存しています。

長いこと『ケービン』で現存する唯一(実際は違う)の構造物と紹介されてきたものです。
私も長い事探していた遺構でした。

実はこの場所、前回(12月)沖縄に来た時に照屋(東)交差点を車で通過していたのですが、気付かなかったのです。
『ケービン』の跡もそうですが、廃線跡とは意外と身近にあるのかもしれません。

なんだか不思議な形の遺構です。

高嶺橋台


当時は築堤であり、用水路を越える箇所だけコンクリートを打ったもので、この遺構の間を築堤が通っていたそうです。

高峰2


築堤は撤去され、コンクリート部分だけ残った結果だそうです。

長い事探していた遺構を見る事ができ、大満足で那覇へ戻ります。
高嶺入口バス停から那覇へ行くバスもあるのですが、行ったばかり・・・。
この後、義父とライブハウスへ行く予定なので、タクシーで最寄の奥武山公園駅までワープ。

奥武山公園駅から乗ったゆいレールは、早くもお祝いムードでした。

おめでとう!!!!

  1. 2008/04/09(水) 20:11:51|
  2. 日々の事
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gino-1宜野湾へ行く

3日から7日まで嫁と沖縄へ行って来ました。

友人の結婚式で帰省する嫁に強引にくっ付いて行っただけなんですがね・・・。

出発は、JTA59便。
最終なので、ゆっくりです。
夜の展望デッキもイイですね。

夜景



残り僅かのJAL鶴丸塗装がいました。

鶴丸


そのうち懐かしのマークになるんだろうね・・・。

さて、ガラガラの南ウイングから搭乗口へ向かいます。

南ウイング



今日も残り2便ですね。

案内


手荷物検査を済ませて出発ロビーに入ると、北九州行きのMD-81(だったかな?)が。

MD81



数年のうちに見納めになりそうな機種ですね。

さて、我々の乗る那覇行きはもちろんB737-400。

737-400


沖縄行きのJAL便に比べたら小さな機種ですが、JTA便はJAL便の何倍も個性的で魅力があります。

機内に入ると、沖縄民謡やR-POPS(沖縄のPOPソング)の心地よいBGMが流れ、座席にはJALグループの機内誌の他にJTA独自の機内誌Coralwayがり、ミュージックチャンネルも独自のプログラムが用意されている。
客室乗務員も、細かい事に気が付きJALよりも落ち着いているように見えます。機体が小さい故のメリットかもしれません。

毎回沖縄へのフライトは、JTA便を楽しむようにしています。

さて、沖縄には、定刻より少し遅れて到着。


時計



この時間では、タッチの差でモノレールに間に合わず、嫁の実家のある宜野湾までタクシーで行く事に。
義父が那覇で飲んでいたそうで途中で拾い、宜野湾まで。

そのまま宜野湾の居酒屋で2時過ぎまで飲みました。

この席で、義父とある約束をさせられてしまいました・・・。
  1. 2008/04/09(水) 19:45:08|
  2. 日々の事
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バンザーイ!!!!!!

沖縄尚学センバツ優勝ヽ(゚∀゚)/


興奮してデジカメの液晶割ったのは内緒だw
  1. 2008/04/04(金) 21:26:05|
  2. 日々の事
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暫く留守にします。

今夜から暫く留守にします。

ブログ更新もお休みの予定です。
  1. 2008/04/03(木) 11:54:36|
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主翼の塗装

さて、モジュールレイアウトもボチボチ本腰を入れなければなりません。
レイアウト最大のストラクチャーとなるYS-11の主翼を塗装しました。

主翼は、クレオスのNo.73エアークラフトグレーと、No.315 FS16440の2色です。

先に面積の少ないエアークラフトグレーを吹きつけ、説明書とおりにマスキングします。

主翼おもて


主翼上面はマスキングと同じ位置のモールドがあるので、モールドに合わせて行けば問題ありません。
続いて下面です。

主翼うら


エンジンと機体の間にはマスキングに使えるmようなモールドが無く、モールドのある翼端側からエンジンを跨いで直線で塗り分け線を持ってきます。

マスキングが終わったら、FS16440を吹き付けます。
エアークラフトグレーにしても、FS16440にしても、吹き付けている時は白すぎるような気がしましたが、乾燥させてマスキングテープを剥がすとイイ感じです。

表塗り上がり


これぞ、旅客機の翼・・・という感じですね!!

裏塗り上がり


下面もイイ感じです。

機体に塗り終わった主翼・水平尾翼も付けてみました。

仮組みYS


次回あたりから、いよいよ機体本体の塗装に入れそうです。

  1. 2008/04/02(水) 23:06:04|
  2. 南西航空事業部
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