もーあしび日記

日々の話題や趣味など色々と。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

苦労して首を絞めたハナシ~“習作”番外編

さて、“習作”のはずの京阪1700・1800ですが、だいぶカタチになってきたので当時の編成を調べてみました。

1700と1800を混結させて…と考えていたのですが、そういった編成は特定番号の1組(Mc1709-Tc1759+Mc1801-Mc1802)しか無かったようです。
ならば、1800を1801-1802に仕立てれば簡単なハナシ…と思いきや、特急色時代に前面貫通扉がHゴムになっていたのはMc1803-Tc1881+Mc1804の1本しか無かったようです。
まぁ、1804は輸送需要によっては切り離していたのでしょうが、1700系との混結は?です。
しかも、この1803~の編成は、神の与えたもふ試練の如く登場時からロングシートだったという点も何となく腑に落ちません(謎)。

貫通扉をHゴムタイプにする為に、苦労して工作をしたのに首を絞めるという阿呆な結果になったのです。


さて、この先どうしましょうか?
1.昨日出てきたデットストックから、1801-1802を作る。
2.組んでる1700を1800として仕立て1803と組めるようにし、デットストックを1700へ。
3.そのまま仕立てて、混結させない。
4.デットストックを切り継いで1810を作る。
5.そんなの関係ねぇッ!で気楽に楽しむ。

あなたな~ら♪どうする~♪
スポンサーサイト
  1. 2008/09/30(火) 23:57:46|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

習作その5

泊まり勤務の出勤前に、昨日パテを盛った屋根をペーパーでチュルチュル磨きました。

1923

もう少しパテを盛った方がイイかなぁ・・・。


さて、今日は長袖で出勤しよう。
  1. 2008/09/30(火) 13:38:56|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

習作その4と雑記

休みの今日は犬に起こされました。
まぁ、お陰で早起きが出来ましたが・・・。

朝食を食べて、洗濯機を回しながら“習作”の4両目を組みます。
おそらくこのキットを組むのも最後でしょうから、細かく工程を撮影してみました。

先ずはキット全体像。

1887

車体の他、パンタ周りのランボード、交換用の貫通扉と客用ドア等が1枚のランナーに納まっています。
京阪特急の特徴でもある鳩マークも含まれます。

ゲートも細かく切りにくいので、側板とその他の部分に分離して必要部品を切り出します。

1889

で、切り出したのがこの状態です。

1890

昨日組んだ1800と合せるので、Hゴムタイプの貫通扉も切り出します。

ココで小細工。
内張りにある側板と妻板を取り付けるベロ部分を油性マジックで塗ります。

1891

以前、酉弐マニアさんが行っていた技法で、油性マジックを塗ると半田が付着しないそうです。
このべロは内張りにある為、今までの“習作”では外張りとくっ付いて使い物にならなかった反省から試してみる事にしました。
あらかじめベロを折り曲げてから外張りと接合すれば良いのですが、それはやりズラいしベロを折るリスクもあるので接合した後の方が良いのです。(とは言え、今回の習作では殆どのベロを折りましたが・・・・実は無くても何とかなります・・・・)

前面の加工です。
貫通扉を交換するので、内張りのスジにPカッターを走らせを3分割にします。

1892

位置を合せて1枚づつ半田付けします。
この時、内張りの上辺を合せる事が要です。

1896 1898


半田付けが終わったら、カーブを付けておきます。


1905

連結面も内張りと外張りを接合します。

1897

側板も位置を合わせてクリップで仮止めし、最初に内張りの両端上部を半田付けします。

1893

次に扉(乗務員室小扉含む)の脇の柱部分。

1894

最後に窓の上下部分に半田を流します。

1895

先ほど、油性マジックで塗ったベロを曲げ軽くヤスってマジックを落とします。
小細工のお陰で、半田が付着していません。

1900


先ずは連結面側からです。
ベロと、側面端、連結面端に予備半田をしておきます。

1903

スコヤで直角を出して・・・

1904

コテを当てて半田を流し接合します。
連結面に両側板を接合してから、前面を取り付けます。場合によっては、幅に合せて前面のカーブを調整します。

そして見事にロ型に。

1906

4両の半田付け作業が終わりました。

1911  1912

洗濯物を干し、実家近くの床屋へ散発に。
ついで実家へ寄ったらあららららららら・・・・・・・・・。

1021


またしても、京阪1700・1800のキットが2セットも眠っていました・・・(爆)
ロクに作れもしないのに、こんなに買い込むなよ・・・・・・・・・・・当時の俺。

さて、夕方からは“習作”の屋根や予約していた鉄コレ第8弾を引き取る為、海老名⇒横浜のルートでお出かけ。
海老名では、屋根の他に開封売りの鉄コレの日立・叡電を購入します。この2つは是非2両で走らせたい車輌です。
今回は日立の復活塗装がシークレットらしいですが、見た事が無いので馴染みある標準塗装で2両組んでみたいので出ない方がありがたいのです。
まぁ出ないでしょう。

横浜で鉄コレを購入し、昴氏と落ち合い、秋祭りの話や購入した鉄コレを肴に食事を。
開封していったら、最後にシークレットが出てしまいました・・・・。

1920

もう1両購入ですか・・・・oz

昴氏に途中駅まで送ってもらい帰宅。
ノンアルコールなので、再び工作開始。

めんどくさい屋根の工作です。

1913

モールドを削った屋根を載せて詰める長さを決め、連結面側の端をカットします。

1915

次に幅を現物合せで削りますが、ここは横着をします。
まず、車体に合せて削る部分を決め油性マジックで塗ります。

1916

定規を当ててマジックの部分をカッターナイフでエイヤーーーーーーーーーーーーーーーと豪快にカット!!!
やりすぎた???と思いましたが、実際はそれでも足らずに削り込みました。
しかし、時間短縮効果は絶大でメンドクサイ屋根工作が一気に3両も仕上がりました。

只今、盛ったポリパテを乾燥中です。

1917












  1. 2008/09/29(月) 23:52:13|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

習作その3

今日は明け番で帰宅した後、隣の市に友人が越して来たので手伝いへ行って来ました。

帰宅後、少々工作を。
先日から取り組んでいる“習作”ですが、元は製作に失敗した片割れのキットを成仏させる事が目的でした。正確に書くと失敗と書くより瞬間接着剤で組んだものの、納得が出来ない状態になってしまい放置していたのです。
その失敗車輌も車輌解体の“習作”として取り掛かる事にしました。

張り合わせ面にカッターの刃を挿しこみ分離します。
瞬間接着剤と金属の組み合わせなので、素材が侵されこと無くパリパリと剥がれてくれます。
パーツ毎に分離したら接着剤をパリパリ剥がし、剥がれない部分はキサゲや紙ヤスリで研磨して仕上げます。

曲げや歪みを修正すれば車輌解体の“習作”は完成ですが、悪い虫が働き半田で組み直してみる事にしました。
再組み立ての“習作”です。

とりあえず接着剤の除去はしましたが残っている物もあり半田の熱で溶けて飛んで来る事もあったので、ゴーグル装着は欠かせませんでした。

先日の“習作”同様に側板を組んだらコの字型に組みます。

1812

スコヤを当てて、直角が出るように微調整します。

1883

前面の貫通扉は技術も無いのに、内張りを3分割した上ご丁寧にHゴム仕様の物に交換されていました。

1884

内張りが3分割となりカーブもかかるので、エラく難儀しました。
まぁ、“習作”なので、あまりスンナリ作れても意味がありませんね。

貫通扉なんかに拘らないでしっかり組めよな・・・・当時の俺。

でも、なんとか組み上がりました。

1885

半田は位置決めに手間が掛かる場合がありますが、何度も微調整が効くの強みですね。
このお陰で随分救われました。。。
プラキットより楽・・・という事が少しだけ分かったような。。。


顔はこんな感じに仕上がりました。

1886

左が先日組んだ物、右が今日組んだ物です。
1700・1800は時期によりどちらの顔もいたようですが、変化を付ける意味で左を1700、右を1800としましょうか。

残った最後の1両の組み立てと、屋根を調達しないとなぁ。。。
明日は天気も悪いようなので、塗装は止めて部品調達にでかけますかねぇ。。。


今日はもう寝ますzzz


  1. 2008/09/29(月) 00:33:03|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

もう1つの東武(?)電気機関車

2年位前から作り始めて、放置と僅かな進捗を繰り返していたもう1つの東武(?)機関車が完成しました。

1869  1870

元ネタは、アルナイン製のフリーのEEタイプ電機機関車です。
このシリーズは、とても簡単を謳い文句にしているだけあり、車体の基本的な部分は半田や接着剤を使わなくてもカタチになります。
簡単にカタチになっただけあり、その他の部分に部品を追加したりノンビリと加工していたら完成までに2年程掛かったという阿呆なハナシ。

この機関車キットは、日本に多数輸入されたEE(イングリッシュ・エレクトリック)社が製造した機関車をフリー化したものです。
フリーの強みで塗装とパーツの取り付けでどこかにでもいそうな機関車に化けてくれます。
茶色に塗れば東武、ラズベリーに塗れば西武、水色に塗れば近江・・・といったところでしょうか。

私は、茶色に仕立てて東武ED4001風にしてみました。
ナンバーはキットに付属しているED402にしてあります。

1871  1872

両サイドで窓の配置が異なるあたりは輸入機らしいですね。
茶色はぶどう色2号をそのまま塗ってみましたが暗すぎたようで、小形機はあえて明るめの塗装にした方がよかったかもしれません。。。
ちなみに、画像を無加工だとこんな感じです。

1871c

正調の東武ED5001と並べてみました。

1886

大きさはそれほど変わりませんが、車輪径が大きいだけありED5001の方が大きく感じますね。

最後に、鉄コレ貨車を引かせてモジュールで記念撮影。

1887

鉄コレ貨車も一部再販されるようですが、機関車共々そろそろ新作に期待したいですね。
鉄製有蓋車とトフとかに期待しているのですが・・・。
  1. 2008/09/27(土) 13:06:59|
  2. ラウンドハウス
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

習作その2

今日は、習作の京阪1700・1800のキットに屋根を取り付けてみました。
屋根の在庫の都合で1枚だけですが・・・。

屋根は、GMの東急3000系のキットより流用します。
先ずは、屋根のモールドを全て削り落とし、車体と合せて切る部分と削る部分を確認します。

1862

東急3000系の方が長さと幅とがあるので、連結面側の端を切り落とし両サイドはカッターでおおよその幅にカットしヤスリで仕上げます。
幅は、組んだ車体に嵌る大きさにし、内張りとの段差に屋根を載せるようにします。

この車体幅に合わせて屋根を削ったり、長さに合わせてカットしたりという作業は、HOゲージのペーパー車体に載せる木製屋根の加工と同じ通じ工程ですね。
まさかプラ屋根でこんな工作をするとはねぇ・・・・。
屋根の加工の方が車体を半田で組むより時間も手間もかかりました。

屋根を削り終わったら仮組です。
屋根が車体の内側へ嵌り、車体の雨樋が露出するようにします。

1863

瞬間接着剤で車体と接合します。
このあたりは、GMの板キットと同じ要領ですね。
出来てしまった隙間は・・・・

1864 

お約束のポリパテで埋めます。
モールドを削った際に出来た凹凸にもパテを軽く塗り修正しておきました。

1876

これで随分と形になってきました。
どこからか10月の完成を目指すようにとの圧力があり、調査員の堀米氏(32歳独身・大叶在住らしい)が進捗状況の調査に来ました。

1877

「めズラしく早いね~。相変わらず浮気者だね~」

早く完成させるには、もう1両分屋根を調達してこないと・・・・。




  1. 2008/09/27(土) 00:07:09|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

習作

前回のブログで最後に出した画像の製作記です。

お台となったのは、懐かしのレイルロード製の京阪1700・1800系。'90年代初頭のガレキブームが始まる頃に発売されたキットです。
トータルキットではなく、車体の一部を既製品やGMキットを利用して組み上げるコンバージョンキットです。
この京阪1700・1800系キットは側板と前面・妻板が含まれ、屋根は東急3000系のものを利用します。

レイルロードのこのシリーズは魅力的なラインナップが揃っていますが、完成品で発売された物が多くなったからか最近は殆ど見かけません。
完成品がない製品だけでも流通してほしでのすが…。
さて、組み立て開始です。
組んだキットは片割れの製作に失敗して半端になり、ジャンク箱の中に放置され歪みも出た悪い状態でした。

歪みの修正、半田付けの練習をする事が目的なので、完成させる気はありません。
教材感覚です。

ランナーから切り出して、歪みをヤットコなどで叩き直します。
板厚があるので強引な修正にも耐えてくれました。
大方の歪みを直し半田付けです。

先ずは位置決めですが、外張りと内張りの下端を合わせると高さの位置が、客扉に縦にモールドされたラインと扉脇の柱を合わせる(ラインが柱に隠れる位)に合わせると横位置が決められます。

位置出し

位置を決めたら、クリップで仮止めします。
本来は内張りの一部を直角に曲げて床板止めを作りますが、今回は無視します。
完成させるにしても、鉄コレ動力、床下を利用するでしょうから不要です。
このキットが発売された頃には、GMしか選択肢が無かったのでGMに合わせた構成になっています。
下側もクリップで仮止めして半田を流します。

半田

先ずは、両側の車端上の部分に流します。
画像は連結面側のみですが、赤丸の部分です。
このキットには半田流し穴が無いので適当な部分に流します。
大きな開口部近くの青丸部分に半田を流すようにしました。

連結面妻板を組み、側板の接合も半田です。

正確に直角を維持できるような道具が無いので、調整を繰り返し何とか…というレベルにしました。

連結面妻板と両側の側面を取り付けコ型にします。
前面は緩い折妻になっているので、外張りと内張りを半田で組んだ後に車幅にあわせて前面を内張り裏の縦線をガイドに緩く曲げてコ型にした車体に取り付けます。

側板と妻板の間にできた隙間(ピッタリ合わせていれば殆どありません)も半田で埋めてみました。
表から隙間にフラックスを塗り、ごく少量の半田を流し、キサゲ刷毛で仕上げる…という感じです。

思いの外上手く仕上がってしまい、デットストックも組み上げてしまいました。

現状

ノンビリ完成を目指す事にしました。
  1. 2008/09/24(水) 21:06:06|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

塗ったり組んだり

今日は明け番で昼過ぎに帰宅しましたが、家事やら何やらで予定していた塗装に入れたのは15時過ぎ・・・。

とりあえず加工中の金属キットを下塗りしと修正をしました。

1849

特に厄介さったのは予想通り岳南のED40。
ホワイトメタル部分とステンレス部分の段差消しにエラく時間が掛かりました。
まぁ・・・・なんとか・・・・・というレベルになったので、次回は塗装に入れそうです。

上田の丸窓は、これから修正に入ります。
これも手間かかりそう・・・・。

そんな金属キットを塗っていたら久し振りに半田を流す感覚を味わいたくなり、2両セットのうち1両が製作に失敗し、かなり歪みのあるジャンク同然の金属板キットで、歪み直し&半田付け練習開始。



あら???・・・・




あらららら・・・・・????

何故かSakuSakuと工作が進み、初めて半田付けで板キットをロ型に。
ストックしたいた車輌も組む事に。

1854

直したい部分もあるので、このキットのレビューは後日にでも書きます。
  1. 2008/09/24(水) 01:10:26|
  2. 四宮電車工場
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

鉄コレ制御器

昨日購入した鉄コレ用の制御器(パワーパック)です。
路面電車のダイレクトコントロラーや、旧型電車のマスコンを思わせるシックな外見です。

1847

この制御器は単三電池4本を電源とし、フィーダーも制御器内部から直接レールへ取り付けられる端子が付いており簡単に遊べる事をモットーに製作されているようです。

実力の程は…というと1.5Vの乾電池X4なので、普通のパワーパックの半分の6Vの出力です。
Bトレや鉄コレの小型動力を軽い負荷で運転するには申し分ありません。
しかし、有限会社関水金属時代の動力等はやっと動く程度です。

制御器天面にはOFFと1~4までの刻みがありますが、1~4は出力はOFF以外はほぼ6Vです。
ボリュームで制御しているようで、実物の刻み毎のカチ、カチという感覚は無く刻みの間でも止めておけます。
出力がほぼ一定なので実質、古のKATO・バッテリーパックと変わらない機能です。


説明書のお約束の文面を無視して分解改造をしてみようと思います。

電池ボックス内の4本のビスを外し、天面と土台を分割します。

マスコンハンドルは、やや固めですが上に引っ張ると抜けます。

1848

しっかりと解析はしていませんが、トランジスタ等は使用しず電池にからの出力を直接ボリュームで制御(直列につないであるのか?)して出力しています。
真にダイレクトコントロラーです。

マスコンハンドル下に仕込まれた部品で、ボリュームの動作範囲を制限とOFF位置にした際に小さなスイッチを動作させる仕組みです。
逆転レバーは、裏から伸びたアームでスライドスイッチを動作させていました。

簡単に家庭用コンセントから給電させるようにするなら、7V・0.25A位のスイッチング電源式のA.C.アダプターを利用し電池ボックスのプラス側、マイナス側に接続するのが簡単でしょう。

さて、普通パワーパックのように12Vとするとしたらどうでしょう?

一般的にトランジスタを使って12V・1A位の容量は欲しいので、スイッチング電源式のアダプターの利用が手軽です。
問題となるのは以下の点です。
・回路保護の為のPTC(リセッタブルフューズ)の容量増大。
・ノッチの刻みに合わせた適度な回転角のボリューム。
・逆転スイッチ、ノッチのOFFの接点容量増大。
・フィーダー線の一般的形態への変更。

目星の付いている点もありますが、まだまだ検討課題が山積みです。
気長に考えて行こうと思います。
  1. 2008/09/22(月) 20:04:49|
  2. 四宮技術区(保線・電力)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

おでかけしてきました。

今日は、模型仲間と連れ立ってお出かけしてきました。
途中、プチ運転会を行うとの事なので、少々の車輌を持って出発です。

東中野で、副会長あやにゃみ氏を連結。
まずは、ココで買い物したり修理を依頼したり・・・。

1808

看板の赤い電車は補修作業に入るようです。

その後、バスで池袋西口へ・・・・・・

中略。

北池袋から、東上線で池袋へ向かいます。

1813


さらに乗り換えて秋葉原を目指します。
秋葉原を徘徊し、電子パーツやら模型やらを仕入れて運転会場のP店へ。

1817

画像が小さいですが、副会長の東武8000とEF62+EF63の薄い碓氷峠超えの旧客編成、あやにゃみ氏の黄色い電車群です。

B


あやにゃみ氏のこちらの黄色い電車は初めてお目にかかります。

東西対決のようなので、参戦することにしました。

1825

前から後まで東西対ケツです。

1828

こちらは橋の上と下で・・・・。

1820

高いアーチ橋はレイアウトに組み込みたいアイテムの一つですが、場所や製作工程を考えると難しいですね。

1821

こんな風景は絵になりますね。
ある本に載っていた写真を真似てみました。

1836

載っていた本が分かった方は、30歳以上のファンでしょうね。

こちらは、副会長の東武8000と東の競演。

1822

セイジークリームの東武電車も是非揃えたいですね。

購入以来走らせていなかったDD13に試運転を兼ねて東・西の貨車を牽引させてみました。

1829  1831

西側の貨車編成はセットに入っている車輌だけでは少し寂しいですね。
もう1セット購入して、重連を楽しんでも良さそうです。

最後は、仲良く????????東西競演?????



西のE851が東のヨ200姫に惚れたようで、熱いアタックを・・・

1835


したとか、しないとか・・・・(笑)

楽しい運転会を終え、大井町の洋食店・ブルドッグへ。

1842

私はメンチカツ定食、副会長はナポリタン、あやにゃみ氏はオムライス・大盛を注文しました。

1837  1839  1841

出てきた料理を見て・・・・・・

(゜д゜)ポカーーーーーーーーーン 

確かに大井一やすいと思います。
この値頃感には敵いません。。。。。。。

デカイ¥いばかりでは無く、味も昔ながらの飽きの来ない味で可も無く不可も無く・・・というところです。

さて、今日のお買い物・・・。

1845

コントローラーは上手く改造できるとイイのですが・・・・。








  1. 2008/09/21(日) 22:50:42|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

バランスを取る?コウモリ

我がCKCクラブでは、我がCKCクラブでは、東ファンvs西ファンの争いが絶えません。(名物なんで絶えるとつまらないかも・・・)

私は最初に宣言したのは中立派宣言なのですが、その後は東の記事が多く中立派としてのバランスを取る為に今日は西の記事を書いてみます。(そう書いてコウモリである事を隠そうなんて気はありません・・・・たぶん)

お題はE851です。
呑み会で西派を虐めすぎたお詫びに先日購入した貨車セットのカマです。
多少凹み部分にお約束のカスレがありますが、最近のKATOのカマにしては良い塗り分けに属する製品ではないでしょうか。
少し気になった部分の色入れとちょいとした加工を施しました。

一番気になるのは丸窓部分。
E851のチャームポイントとなる部分です。製品では、Hゴム表面は黒で塗装されていますが断面が朱色のままで、中のダイキャストも明るいグレーなので大きな窓から目立ちます。
そこで、断面とダイキャストに黒を塗りました。

窓

これで随分と落ち着きます。

正面窓下の標識灯のリムに銀を入れます。

顔

無塗装に比べると、随分と締まった印象になります。

ユーザー取り付けになっている避雷器は丸型の物です。
しかし、4号機となるE854だけは電車の廃車発生品(らしいです)の6角避雷器が取り付けられており、形態差をつけるには格好のポイントです。
早速、ジャンク箱から掘り出した阪急用の避雷器に、GMのNo14を塗りゴム系接着剤で取り付けました。

避雷器

この角度からすると、正面窓断面も塗った方が良さうですね。
まぁ、側面の丸窓程目立たないので、このままでもイイかなぁ・・・・・・・・。

最後にインレタを貼り、一応の特定番号機・E854の完成です。

完成


最後に、私が撮った現役時代のE851の写真を。

実物


高校時代に狭山ヶ丘の友人宅へ遊びに行った帰途に撮ったと記憶していますが、撮影場所は狭山ヶ丘か所沢だったか定かではありません。


東と西の貨物列車編成が揃い、バランスが取れた中立派のコウモリとなりましたが東傾向の自分がいます。
だって、東は私鉄なんだもんね!
  1. 2008/09/21(日) 00:12:29|
  2. ラウンドハウス
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

台風

先程から雨風に加えて雷もハゲしくなってきました。

普段の行いが良いからか、運悪く泊り勤務であります…oz

予定より早く抜けるようですが、どうなるやら…。
  1. 2008/09/19(金) 23:46:14|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

一夜漬けの夏の宿題

みなさんは、夏休みの宿題をいつやりましたか?
私は9月1日以降でしたが、まぁ遅れたり忘れた事はありません。
そんな経験をオトナになってまでした話です。。。。。。。。。


話は前後しますが、先日の運転会では『夏の列車』なるテーマがありました。
結局、幹事(私ですねぇ)の失態により、発表時間が無く幻のテーマとなってしまいましたが・・・。

そんな訳で、阿字ヶ浦海水浴場へ行く『夏の列車』という事で、茨城交通のキハ200を一晩でデッチ上げた話です。
kitchNからタイミング良くキハ200用のデカールが販売され、これまたタイミング良く“有限会社関水金属”製のキハ20を入手できた事が大きな後押しとなりました。

1597

ベースのキハ20はケースの蓋が爪で開閉する時代の骨董品ですが、製品のシルエットは決して悪くありません。
無骨ながら、走る事に徹して安定した動作の動力も魅力です。

早速、工作を開始します。
動力とボディを分離し、ボディは屋根とガラスにさらに分離します。

茨城交通のキハ200は、鹿島臨海鉄道が大洗線開業の際に国鉄より譲り受けたキハ20です。
大きな特徴として、正面の灯火類が鹿島臨海鉄道時代に前・尾灯が一体となった角型ライトに改造されています。
よって、正面下にモールドされた尾灯や銘板、空気取り入れ口を削り落とします。
貫通扉上の空気取り入れ口も撤去されていますが、綺麗に削る自信が無かったのでそのままにしてあります。

1599  1598
befor                 
                                         after

屋根の加工状態です。

1600

屋根と車体を接着し、前面中心に隙間を埋めたら塗装です。

1764

屋根色となるねずみ色1号を吹き、オデコ部分を除く屋根をマスキングして白3号を吹きます。
そして、デーカール貼り&苦手な色入れです。

1767

雨樋用にもデーカールがありますが、デカールのノリが悪く急遽西武レッドを筆塗りしました。

正面に車番を入れますが、下帯に位置が若干高く見事に干渉しました・・・oz

1770

メインとなるライトは、KATOのAssyパーツからです。
何で購入したのか分かりませんが何故か家にあった物です。

1773

スライスして、取り付けて、宿題終わり~!!!

1792












  1. 2008/09/17(水) 18:05:18|
  2. 客貨車区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

リベンジ!!パワーパック

先日の運転会では自作のパワーパックを持って行きましたが、何故か不調。
小さく作りすぎたようで、内部で電気接点が混触していたのが原因ようです。
そんな訳で、作り直す事にしました。

大きな変更点として、シャーシをアルミ製として内部空間を広く取る事。
それにより、余裕ある配線ができる上、取り付け部品のズレも減らせそうです。

近々、着工します。
  1. 2008/09/16(火) 23:53:53|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

CKC新人歓迎オフ

今日は、弊CKCクラブの新人歓迎オフ(運転会)でした。

登戸・サブウェイさんに新人さんやら、ゲストさんやら、総勢17名が集合。
早速、運転会開始です。

oFF

いつもながら、メンバーの素晴しいコレクションが並びます。

B  留置

そして、お約束で事故調も出動。

どつけ 突っ込めー!!!!!!

夏の宿題という事で作った拙作の茨城交通キハ200(製作記事は後日書く“予定”)です。

茨城

海水欲情浴場へ向かう“夏の列車”であります。

そういえば、今日は某幹部がきていません。
しかし、代理人の堀米氏(31歳・独身・大叶在住らしい)が来てました。

コメス

短い足をレスキューされながら、赤緑電車を観察しています。

そして、お約束の酒宴。

アリ

この人も、どっぷり酒宴に嵌ってました。

gomesu


今日も、たくさん運転して、たくさん飲みました。

帰宅したら、こんな物が増えていました。

買い物

基本は南西党ですが、モヒカンは1機欲しく・・・・つい・・・・。
YSは、南西関係になる予定です。


それにしても、パックをなんとかせにゃ・・・・。



  1. 2008/09/14(日) 23:34:02|
  2. 運転会
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:7

夏の宿題

久し振りにコンプレッサーを引き出して塗装を始めたものの、修正ばかりでかけた時間の割に最悪の仕上がりに・・・。

20

今度の運転会のテーマにこじつける車輌となる予定です。

てな訳で詳細は後日。

仕上がり悪いけれど、塗り直す気力も無いのでもう寝る!!!
  1. 2008/09/12(金) 01:54:00|
  2. 客貨車区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

何していたんだっけ???

沖縄から帰宅して、ブログの纏めが終わり一段落。

模型再開!!!と行きたいのですが、何を工作していたかを思い出す所から始めないといけないようです。。。。。

とりあえず、夏休みの宿題を・・・・・。

  1. 2008/09/10(水) 22:44:09|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

沖縄へ行く 6日目

今日は、いよいよ沖縄から帰ります。

昼過ぎの便なので、早々に那覇空港へ。

粟国行きでお世話になったアイランダーとB747のツーショットが撮れました。

1756

この画像では、拡大しないとアイランダーが何処へいるかわかりませんね・・・・。
でも、B747よりは、遥かに面白い飛行機でした。

帰りは、JTA便です。

1755

毎度の事ですが、後ろ髪を引かれる思いで沖縄を後にします。
さて、今度は何時来ようか。

その前に、帰ったら諸々の現実が待っています・・・・。

あぁ・・・・夏休みの“宿題”は終わるのかねぇ・・・・・・・。


  1. 2008/09/10(水) 22:38:55|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

沖縄へ行く 5日目

沖縄5日目の今日は、南部へ行ってみる事にしました。

メインは、南城市にある斉場御嶽(せーふぁーうたき)です。
御嶽とは、南西諸島各地へ分布している『聖地』とされる場所で、神へ祈りを捧げたり神事を行う場所です。
現在でも、地区毎等細かく分布し崇拝されています。
古来、御嶽へは神へ祈りを捧げる女性しか入る事が許されていませんでした。(それだけ沖縄の女性は強いのです・・・)

中でも、斉場御嶽は琉球開びゃくの伝説にも登場し、琉球王国最大の『聖地』とされ、神々の住む島とされる久高島へも近く島へ祈りを捧げる場所(拝所)でもあります。

与那原町を経て国道331号線をひたすら走り、斉場御嶽へ到着です。

1725

ここも、世界遺産へ登録されています。
斉場御嶽内の参道は石が敷き詰められ坂もきつく、大変滑りやすくなっています。
入り口に置いてある杖を持って行く事をお勧めします。

斉場御嶽には、拝所の他、祭りの準備をする為に作られたと思われる遺跡が発掘されており、大きな祭祀が行われていたようです。

参道の途中には、先の沖縄戦の被弾によりできた大きな穴もあります。
沖縄では、何処へ行っても戦争の影があり、平和の尊さを考えずにはいられません。
今ではこの穴に水が溜まり、周囲は小さな生き物の楽園になっていました。

1730

ここまで激しい戦争があったにも関わらず、斉場御嶽の拝所の多くが形を留め新しい命が宿っているのはやはり神の力なのかもしれませんね。

寄満(ユインチ)と呼ばれる場所です。
王府の用語では『台所』を意味する場所だそうで、祭祀の何らかの準備に使われたようです。

1731  

寄満の反対側にあたる場所が、斉場御嶽最大の聖地三庫里(サングーイ)です。

1726 1729



周囲は、自然造型の美しい岩肌が露出しています。

1727

この三庫里の三角岩の先が拝所となっており、最も聖域とされる場所になります。

1728

画像から奥の場所は陽が降り注ぎ、何とも言えない神々しさを感じます。
嫁は、あまりの神々しさに震えが来たそうで、やはり沖縄の女性は違う何かを感じたのかもしれません。
私も、中へ入ると何とも言えない感覚に見舞われ、神々が宿る場所は何かがあるようです。

気になる方は実際に行く事をお勧めします。



斉場御嶽を後にして、ニライカナイ橋を目指します。
橋の近くに展望の良いカフェがあるそうで、行ってみようと思います。
ニライカナイ橋へは331号線を南下(具志頭方向)へ進み、南城市知念庁舎(旧・知念村役場)の先を右へ曲がり登って行きます。
この登って行く橋がニライ橋とカナイ橋です。
ニライカナイとは、遥かなる海を指す言葉で、語意は諸説ありますがニライ(根っこ)カナイ(遥か)と訳するのが一般的のようです。

ニライカナイ橋を渡り、展望の良い事で有名なカフェ・『くるくま』へ到着しましたが、結構混んでおり40分以上待つとの事。
結構、お腹も空いていたので、再度二ライカナイ橋を下り、別の店を探す事にしました。

1734


二ライカナイ橋は、下る方が絶景を見る事ができお勧めです。

1735  1738



絶景を見る事ができたものの、何か食べれそうな飲食店が見つからず、与那原町まで戻りJefというファーストフード店へ。
このファーストフード店は沖縄南部地域へ5店舗しかないものの、ゴーヤーを挟んだハンバーガーがあることで有名です。
ドライブスルーでぬーやるバーガーのセットを注文し、食べてみる事に。
ぬーやるバーガーは、ゴーヤーの入った玉子焼きとスパム、チーズが具として挟まっているハンバーガーで、ゴーヤーの苦味はあまり感じず普通に旨いハンバーガーでした。

腹も満たされたので、識名園へ行くことにしました。

識名園は琉球王府最大の別邸で、国王一家の保養の他外国使臣の接待等に使われました。
先の大戦で建造物の殆どが失われましたが、20年程の歳月をかけて再建され2000年には世界遺産への登録も果たしています。

1753  1754

識名園は廻遊式庭園となっており、歩きながら景色の移り変わりを楽しめる作りです。
入り口すぐ道は木立の緑に囲まれており、那覇の街中にもこんなに緑があるのかとおどろかされます。

1740

両脇の石積みも美しいですね。
この道を抜けると、御殿(うどぅん)です。
識名園の中でも中核をなす建物で、王家一家や外国使臣が滞在したそうです。

1743

明治・大正期にも増築されたそうで、15もの部屋があるそうです。
琉球王府の時代は、赤瓦は上流階級のみに許されていたそうですが、御殿は琉球古民家風の趣きがあります。

御殿から、池を眺めます。

1741

アーチ型の石橋と、周囲の緑が池に映え、美しい情景を醸し出しています。
逆に、池側から見た御殿です。

1748

写真でもよく紹介される構図ですが、最も識名園らしい構図です。
池の奥の道を進みます。

1749

庭園といううよりは、森の中の道という雰囲気の場所で、奥の高台には勧耕台があります。

1752

ここから那覇の街が見下ろす事ができますが、海が見えないように作られています。これは中国からの使臣へもここからの眺めを見せて、琉球が決して小さな国ではない事をアピールしたそうです。

識名園を一通り見学し、沖縄最後の夜は嫁の家族と食事へ。
楽しい夜は早々へ更けて行きました。
  1. 2008/09/09(火) 23:16:21|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

沖縄へ行く 4日目

沖縄も4日目。

朝方嫁と義姉の病院へ寄った後、最近話題の真栄田岬の青の洞窟へ向かいます。

途中、読谷の座喜味城址へ寄ります。

1709

ここも、世界遺産へ登録された琉球の城(ぐすく)群の一つで、築城家と知られる護佐丸(ごさまる)によって築かれました。
沖縄に多い城郭だけ残る典型的な山城ですが、ここは特に美しく感じます。

1710

城郭の上にも上る事ができ、海も眺望できる沖縄らしい絶景が広がります。

1711  1712

見学はしませんでしたが、読谷村の歴史博物館の前に展示されていたこれらの美しい壷は骨壷だそうです。

1713

座喜味城址の見学を終え、真栄田岬へ向かいましたが波が高く遊泳禁止に。
よって、シュノーケリングで見学する青の洞窟も残念ながら見学できません。
まぁ、次回のお楽しみに取っておきましょうね。

洞窟は見学できなかったものの、岩場を歩き断崖近くまで行ってみました。

1715  1716

信じられないような青い色をした大波が、岩場に打ち付けその迫力には圧倒されます。
再来を誓い、真栄田岬を後にしました。

お腹も空いたので、金武(きん)町までタコライスを食べに行く事にしました。
やって来たのはこのお店。

1720

パーラー千里さん。
このお店がタコライス発祥の店だそうで、最近ではTV等でも広く紹介されています。
店内は昔ながらの喫茶店のような作りで、壁に貼られたメニューも良い味を出しています。

1717

メニューに$でも値段が書かれており、米軍基地が多い金武らしいですね。
タコライスも、タコスでは腹持ちが悪いと米兵から言われ、タコスの具をライスに載せた事が始まりだそうです。

注文したのは、タコライスチーズ野菜・600円、ジャンボタコチーズバーガー・350円、チキンバラバラ・800円の3品。
すぐに出てくるスピードもさることながら・・・・

1718

すごい量です

ジャンボタコチーズバーガーは、半分でこの大きさ!!!

1719

半端ないです・・・。

タコライスは食べる前にかき混ぜますが、まりの量にかき混ぜられません・・・・。
ちなみに、食べ切れなかったらテイクアウトもしてくれます。

味の方も大味ながら、程よく野菜とチーズが絡み独特の味わいです。

食後、近辺をブラブラ。
昔ながらの建物や、派手な装いの建物が多くありますが、夜の店が多く昼間は静まり返っています。

1721  1722

1723

夜は違う雰囲気なのでしょうね。

その後、北谷で買い物と食事をして帰宅しました。

1724














  1. 2008/09/09(火) 22:50:03|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

沖縄へ行く 3日目

さて、沖縄も3日目。
嫁は同級生と遊びに行くそうで、私は日帰りで離島へ行く事にしました。

那覇へ出勤する義妹に送ってもらい空港へ。
春に行った南大東島へもう一度行きたい気もしますが、生憎飛行機は満席のようです。
ならば、映画・『ナビィの恋』の舞台となった粟国島へ行く事にしました。

琉球エアーコミューターの運航する那覇~粟国便は、国内の定期航空路線で一番定員の少ない9人乗りのブリテン・ノーマン アイランダー (BN-2)で運航される珍しい路線の一つです。
小形機の上、VFR(有視界飛行・離陸後に目視にて位置を判断し飛行する飛行方式)の為天候不良による欠航率が高く典型的な不採算路線だそうで、近年中の運航休止が予定されています。
行き先を粟国に決めたのは、この飛行機に乗りたいという理由も大きなウエイトを占めていたりします。

今日は、那覇に戻る場合があるとの条件付きながら運航するそうで、空港カウンターでチケットを購入し体重測定。預かり手荷物測定用の秤に持ち込み手荷物と一緒に載ります。

小型機故、バランスを取る為に搭乗客の体重によって席が決まります。
よって、カウンターでは席番が指定されず搭乗口で指定されます。

RAC

航空券中程に描かれている図は、BN-2の座席図。
ワンマン運航の為、1Bはなんと機長の隣です!!!
ちなみに、搭乗口で席番が決まると席に丸印が付けられます。

RAC券

今日は3Bでした。

搭乗口からは、もちろんバス移動。
大型路線バスと同じバスに乗客が乗り込み、アイランダーが待機する駐機場まで移動します。

1664

乗客は、島の人らしいおばぁ(おばあさん)が1人と2人のおっさん、ビジネス目的らしい若い男性客と
私の5人。
定員からすれば50%強の程度の搭乗率ですが、5人の乗客を運ぶのに見ただけでも5人以上スタッフが携わるのですから不採算な路線であるのは確かです。

さて、お目当てのBN-2が見えて来ました。

1666 

隣に止まっているワンボックスカーと比較してもその大きさは明白。
ホントに小さな飛行機です。
一昨日、沖縄へ来る際に乗った飛行機が国内線最大B747-400で定員が546名。アイランダーの実に60倍以上です。
最大の飛行機の後は、最小の飛行機・・・というのも面白い経験です。

さて、いよいよ機内へ。
乗用車のように、一部の座席を倒して乗り込みます。よって、席番により搭乗する順番が変わります。

機内はすぐ隣の人と肩が触れ合う程狭く、軽自動車の後部座席よりも幅がありません。

1657

乗客の搭乗が終わりドアが閉められると機長さんが乗り込み、乗客の方を振り返って「おはようございます。」と挨拶しながら、オシボリとキャンディの入った籠を前の乗客から順に回して行きます。

飛行機というより、旅館か何かの送迎用のワンボックスカーに乗り合わせたような雰囲気です。

超小形機といえども、使う滑走路はジャンボジェツトと同じ滑走路です。
エンジンが回り、いよいよ出発。
誘導路を走行しながら、機長さんがお馴染みの注意放送をしますが明らかに日本人しか乗っていないので英語放送はありません。
小さな機内ですが左右に付いたエンジンの音が煩く、放送スピーカーをとおしても聴き取りずらい程です。
滑走路に進入し、
「離陸しますので、シートベルトをお確かめ下さい。」
との放送があり、程なく、
「では行きま~す。」

と、案内がありエンジンがフル回転し、今まで以上に大きな振動が伝わってきます。
一気に加速します。
窓を通して、前方の景色も見えるのでジット機以上に早く感じます。

少し滑走したかと思ったら、すぐに空に舞い上がり程なく水平飛行に入りました。

今から向かう粟国島は、沖縄本島の北西60kmの海上に浮かぶ周囲12km、面積7.63km・人口852人(2008年7月31日現在)の小さな島で、周囲に島は無く一島一村で沖縄県島尻郡粟国村に属しています。
農業と漁業中心の島ですが、シーズンになるとダイビング等の観光客も訪れるそうです。

アイランダーは低い高度で海上を飛行しながら、細かく右へ左へと針路を取りながら島影が見えると、

「間もなく着陸します。」

とのアナウンスがあり、20分程の短いフライトを終えて小さな粟国空港へ着陸しました。
短い滑走路を走りながらだんだんと滑走路の中心から左へ大きく逸れて行きどうなるかと思ったら、滑走路上でUターンしターミナル近くまで移動しました。
滑走路上でのUターンなんて、小形機ならではの技ですね。

搭乗した時と逆の順序で降り、小さなターミナルへ向かいます。

1668

ちなみに、アイランダーの全景です。

BN


ホントに小さな空港ターミナルですね。

1669

さて、ここから島内を観光しようと思いますが、この島には有償輸送以外の公共交通手段がありません。
先ずは、役場で情報を得ようと思います。
空港から役場までは、徒歩でも20分程度なので畑の中の道をトボトボと歩いてゆきます。
早速、草むらからヤギがお出迎えしてくれました。

1670 1671

役場で情報を貰い、港近くの売店(商店の事・主に食料品等の日用雑貨を扱う店。沖縄では多く使われる名称)でレンタサイクルを借りる事にしました。
売店で『ナビィの恋』の舞台となった場所を聞き、早速出発!!!!!

『ナビィの恋』は、自分が沖縄に興味を持ち始めた頃に見た映画で、沖縄の離島はこんな場所なのかなぁ・・・とのイメージで見た思い出があります。
しかし、その後は離島に行く機会が殆ど無く、春に行った南大東島は独特の文化・歴史圏の為、『ナビィの恋』の中に出てくるようなシーンはありませんでした。
よって、今回の粟国訪問は自分の中では『ナビィの恋』共々特別な思い入れがあります。


さて、自転車を漕いでいたら、何か変。
点検したら・・・


(゜д゜;












ハンドルの根元が錆びて折れかっていました・・・。
あまりにもビックリの事態に、ただただ笑うのみ・・・あひゃゃゃぁ(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)

売店で交換してもらい、気を取り直して再度出発。

郵便局横の道を入り、集落の中をブラブラ・・・。
大浜倶楽部に到着。

1672

本来は公民館ですが、『ナビィの恋』では、『大浜売店』となって登場し、この建物の前で踊るシーンが何度か出てきます。
撮影に使った家屋もあるそうですが、似た雰囲気の琉球古民家が多くあり分かりませんでした。
しかし、映画に出て来る場所はすぐ分かりますし、集落の中を見て回るだけでも楽しくなります。

1675  1674  1676

映画の撮影地は他にもあるのですがそれは後ほどにして、島北部の洞寺(てら)という鍾乳洞へ行ってみる事にしました。

この島は西部と北東部にかけて標高が高くなっており、自転車ではきつい坂道が何箇所かあります。
もっとも島自体大きくないので、長い距離ではありませんが。
坂道の先には、絶景が待っている・・・・そう自分を励まして自転車を漕ぎます。

1677

洞寺の入り口ももそんな坂道を上った場所にありました。

1678

洞寺とは、賭け事で負け流刑になった僧侶が住みつき生涯を閉じた場所と言われています。
門を潜り、洞寺の入り口へ続く長い階段を下りてゆき洞寺の入り口へ。

1679

歩みを進める度に照明が点灯するようになっていますが、それでも暗く最深部分の照明は故障で点灯していないようです。
それでも鍾乳石を鑑賞するには程よい灯りで、幻想的な鍾乳石が浮かび上がります。

1681 1682

洞寺の中から入り口を見上げると、陽の光が降り注ぎなんともいえない光景をみる事が出来ました。
残念ながら、画像でその良さをお伝えできないので気になる方は行ってみて下さい。

洞寺の入り口近くには、沖縄民謡・むんじゅる節(赴任した役人が島娘に恋をする話を歌にした民謡)の記念碑がありました。

1683

粟国島が発祥の地だったのですね。

さて、粟国で一番の話題といえば『マース(塩)』。
島北東部にある塩工場へ行ってみる事にします。

途中、草むら近くの道を通ったら、大きな黒い物体がガサゴソ・・・・。
ドキッとして、見ると牛がけい牧されていました。
ヤギはあちこちで見ましたが、牛もけい牧されているとはビックリです。
後でパンフレットを見たら、村民牧場になっている場所でした。

特徴的なタワーのある塩工場へ着きました。

1684

事務所で、見学を申し込むと、行程を追って案内してくれます。

先ずは、海水の汲み上げから。
汲み上げは、10mの高さのある採かんタワーという建物内で行われます。

1686

海水を汲み上げ、天井から吊るされた竹を通す事を何度も繰り返し1週間以上かけて海水の6~7倍の塩分濃度にした、かん水を作ります。
フィルターの役目をする建物内の竹は竹箒の先のように細い物をしようしており、天井から無数の竹箒が吊るされているような感じです。
海水を循環させる際は、強い風を当てており建物内に入るだけでも顔じゅう塩だらけになります。

次に、かん水を釜にかけ塩を取り出します。

1685

この釜は、薪を燃料とし30時間程かけて塩を取り出すそうで、常に釜は稼動しているそうです。
1tのかん水からは150キロ程の塩が作れるそうですが、濃縮していない海水からだと30キロに満たないそうです。
この工場では、浮いてきた塩を小さな鍬のような道具でかき寄せ手作業で塩を取り出しています。

この工程で出てくる液体が『にがり』で、薄い茶色をしています。
市販の『にがり』は透明な物が多いのですが、これは輸入塩を生成した時に出る『にがり』で本来の『にがり』とはやや違う物だそうです。

取り出した塩を6~18日程度乾燥させると塩の完成です。

他にかん水を天日で20~60日程乾燥させて作る天日塩も製造しています。
天日塩の方が聞こえは良いのですが、日光で成分が壊されて辛味だけが強くなってしまったりするそうで、作る方からすればお勧めはできないそうです。
確かに、味見をさせて戴くと味の違いがよく分かります。

塩工場を後に、島の最西端・筆ん先にあるマハナ展望台へ行ってみます。

一旦集落まで降りて、西へ西へと坂を上ります。
ここは、やや長い坂道が続きます。
単調な畑の中を走りやっと眺望が開けてくると、ポツンと佇む展望台があります。
天気の良い日には展望台から久米島や沖縄本島が見えるそうですが、生憎の曇り空・・・。
それでも、広大な景色を見ると苦労しながら坂を上ってきた甲斐がありました。

1688 1689

岬先まで行こうと思いましたが、地盤が弱いので、立ち入り禁止との事。

1687

まぁ、入っても大丈夫そうですけど、やめておきました。

展望台からの帰り道、近海へ外国船が近づいた事を首里の王府へ知らせる役目をしていた番屋の跡や、大正時代に造成された生活用水を貯蔵するため池を見て港まで向かいます。

1690  1691

粟国島巡りもラストスパート。
港近くにある西の浜へ向かいます。

ここは、『ナビィの恋』の1シーンにも出てくる海岸で、劇中ではサンダーがサバニ(小船)を泊めていた場所です。
その旨を書いた案内板も建っています。

1697  1692


遊歩道が整備されており、容易に散策ができます。
浜に下りてみると・・・

1694

まさしくこの場所です。
サンダーとナビィが何十年ぶりかに出会い、そして旅立つ場所。
二人のの純愛の如く、海の水も透き通って綺麗なこと。

1695

大満足で粟国島巡りを終えて、自転車を売店へ返却し港へ向かいます。
帰りは粟国村営フェリー『あぐに』で那覇へ戻ります。

1699

小さなターミナルで、そばを食べ乗り込みます。

1704

船内は、座敷席とリクライニングシートを装備した椅子席の2種類あります。

1700  1703

出航後しばらくはデッキへいたのですが、座敷席へ入り用意されていた枕と毛布で昼寝・・・zzzzz
目が覚めたら、那覇・泊港へ間もなく着岸するところでした。

1707
 
ちなみに、画像左側へ写っている船は、南・北大東島へ行く『だいとう』です。
客貨船ではありますが、コンテナの貨物が山ほど積まれており客室はごく僅かのようでした。

2時間の船旅を終え、泊港へ降り立つと雨。
粟国を回っている間に降らなかったのは幸いでした。

夜は、嫁と飲みに行く事に。
普段はビールを飲みませんが、メニューにあった『ゴーヤードライ』(ヘリオス酒造)を飲んでみました。

1708

さっぱりとした飲み口なので、ビール党には物足りないかもしれませんが、暑い沖縄にはピッタリのビールです。
ちなみに、ゴーヤーの苦味は、後味に僅かに感じる程度でした。










  1. 2008/09/07(日) 00:26:01|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

どうでもいいお知らせ

え~沖縄旅行記の編纂途中でありますが・・・・・・ここで、ホントにどうでもイイお知らせが入りました・・・・。 [どうでもいいお知らせ]の続きを読む
  1. 2008/09/06(土) 23:01:52|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:7

沖縄へ行く なが~い2日目

嫁と寝たがの12時過ぎ。

3時過ぎに義姉が産気付いたとの事で、義姉夫婦が病院へ。
その後、那覇の嫁の両親に連絡したり、北谷の病院まで届け物をしたりで一気に慌しくなりました。

まだ生まれる様子が無いそうで一旦実家へ帰宅しましたが、寝るに寝れず・・・・。
7時半頃に、仕事に行った義妹より様子を聞く電話で起こされ(←嫁は大イビキかいて爆睡中)ましたが、その後連絡が無い事を伝え再びウトウト・・・。

目が覚めたのは、10時前。

弟より8時半過ぎに女の子が誕生との連絡があった事を聞き、嫁と病院へ。
カワイイ姪っ子に会って来ました。

30目前にして、名実ともにオジサンとなりましたoz。。。

北谷まで来たので、以前から行ってみたかつた勝連城址へ行く事にしました。
勝連城址は、15世紀半ば琉球の統一を進めていた首里の国王に最後まで抵抗した阿麻和利(あまわり)が居を構えた城です。
1458年に首里を攻めたものの大敗し、落城しましたが出土品より16世紀までは使われていた(用途不明)形跡があるそうです。
現在では、石積みの城郭だけが残るにすぎませんが、その美しさ故2003年に琉球の城(グスク)群として、中城城址や座間味城址等と共に世界遺産へも登録されました。

北谷から沖縄、与勝半島へとクルマを走らせ1時間程で到着しました。
世界遺産といえども城址内は無料で開放されており、自由に散策ができます。

勝連

勝連城址の特徴の一つに、非常に高い山の上に作られています。
長い上り坂と石積みの階段が続きます。

1659

この階段は、滑りやすいのでサンダル等では危険です。
上りは辛いのですが、美しい石積みの城壁と紫紺の海を一望できる景色に出会えます。

1660

やっと、二の曲輪に到着。

1656

更に上の一の曲輪へ登ります。

1657

僅かながら建物の跡があり、絶景が広がります。

1658

沖縄というと海のイメージが強いのですが、高い場所から見下ろすと緑が多い事に驚かされますね。

勝連城址で心地よい汗を流し、嫁が見たがっていた映画を見て帰りました。
1日が長く感じました。

  1. 2008/09/05(金) 22:05:16|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

沖縄へ1日目

毎年恒例(?)のズレた夏休みで、8/31~今日まで嫁の実家がある沖縄へ帰省して来ました。

めズラしく、昼間の便でのフライトです。

747

久し振りにこんなにデカい飛行機に乗りました。
16時前に那覇空港に着き、嫁の両親が仕事の関係で住んでいる美栄橋駅近くのマンションまでゆいレールで移動します。

モノレール

ゆいレールのおかげで空港から那覇中心部への移動は便利になりましたが、それ以外や駅から先の地域への移動するバスとの連帯等が今ひとつで今後の課題でしょうね。
開業後数年を経た今でも、良くなったとは思えません。

後ほど嫁の実家から義姉が迎えに来てくれるとの事で、嫁の両親が住んでいるマンションに荷物を置き国際通りを散策します。

国際

日曜日はトランジットモールが実施されており、いつもの雑然とした国際通りとはまた違う雰囲気があります。
整然としすぎて国際通りらしくない・・・というのが嫁と私の感想です。

さて、義姉にクルマで向かえに来てもらい実家のある宜野湾へ。
ちなみに、義姉は出産予定日を翌日に控えていますが、全く気配が無いとの事で夫婦であちこちへ出歩いていたそうです。

実家では、帰省していた、嫁の兄弟達と楽しく飲みました。



しかし、その後の長い夜の始まりでした・・・・。
  1. 2008/09/05(金) 21:04:37|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

Gino-1

Author:Gino-1

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。