もーあしび日記

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お出かけしてきました ~3月の沖縄~

先日の記事の通り、6日から今日まで沖縄へ行ってきました。
今回も嫁の実家にお世話になりますが、嫁は仕事の為に自分単独での渡沖です。(我ながらアツカマシイ旦那だなぁ・・・・)

始発便が空席待ちで乗れたので、始発便で沖縄へ。



機種は退役が予告されているB747でした。

で、3時間程のフライトで沖縄着。

IMG_4832.jpg

明らかに太陽が違います。
正に『てぃだ』(沖縄の方言で太陽の意)と言う言葉がピッタリですね。

モノレールで古島駅まで移動して、義父に迎えてもらい嫁の実家へ。
明日の準備やら昼食にそば(もちろん沖縄そば)を食べに行き、「午後はクルマを自由に使ってイイよー。」との事で南部へ。

以前から見ようと思い足を運べなかった『海軍壕公園』へ。

IMG_4838.jpg

那覇市や豊見城市を望む閑静な丘の上にある静かな公園ですが、65年前の沖縄戦で壮絶な歴史が刻まれた場所なのです。

概略を記しますと、太平洋戦争中に繰り広げられた悲惨な沖縄戦の最中海軍の指令本部が置かれた場所で、最後の海軍司令官・大田実が昭和20年6月13日に拳銃で自決した場所です。

先ずは、小高い丘の上にあるビジターセンターを訪れます。

IMG_4837.jpg

このセンター内の資料室等を見学して壕内へ入ります。
階段等や照明等が整備されているものの、壕内は薄暗く何とも言えない空気が壕内を包みます。
当時の司令官室や、大田司令官が自決した当時の傷跡が生々しく残り、その雰囲気に圧巻され撮影を忘れる程でした。

正直、沖縄へ身内があり沖縄戦の悲惨な話を聞いたことがある者からすれば、民間人を多数巻き込み悲惨な地上戦を指揮した司令官が自決した場所は複雑な気持ちではあります。
しかし、この壕内で命を落としたのは大田司令官だけではなく、集骨された遺骨は2300柱あまりにのぼるそうでやはり平和について考えさせられる場所であります。

職業軍人が自決して、多くの民間人を路頭に迷い多くの犠牲を出した事を考えられるとやはり憤りも感じずにはいられません。
せめてもの救いは、大田司令官が最期に残した以下の打電です。




発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ




訳:
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。




以上のような打電を残しています。
同じ沖縄で自決した牛島満陸軍司令官も民間人を巻き込んだ事に深い自責の念を感じていたそうですが、最期の言葉は軍国主義を称えるような言葉を残したとされています。

対照的な気がしますね。

大田司令官が残した『県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。』という言葉が今も国には届いていないような気がしてなりません。

大田司令官を賛辞するようにも取れる記事かもしれませんが、私見を言わせてもらえば評価できる司令官であれば民間人を巻き込むような無駄な争いをしないと判断できる司令官だと思うのです。

IMG_4839.jpg

複雑な思いをして海軍壕公園を後にしました。








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  1. 2010/03/08(月) 23:26:44|
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