もーあしび日記

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gino-1 歴史探索

『結い』…人と人の結び付きを表す言葉。
沖縄では特に強く、親戚ともなればさらに強くなります。
そんなわけで、嫁と沖縄に来たら1日は親戚廻りの日となるのが通例です。
今日はそれに当てても良いなぁ…と考えていたのですが、嫁は明日行われる結婚式の余興の打ち合わせだそうで予定が無くなりました。 (ラッキ~!!!!!(゜∀゜)v)

今まで行く機会が無かった、県立博物館や識名園等に行ってみる事にしました。
沖縄の嫁と付き合ったが故に、観光客として沖縄を知るより前に沖縄の生活を知ったような感があります。
20回近い来沖経験がありながら、メジャーな観光地を意外と行っていません。

宜野湾から那覇まではバス移動になります。
朝ながら、もう暑い・・・。
ま、“赤道”直下だから無理ないね…。

赤道


待つこと暫し。
開いた窓から心地よく風の入るバスに揺られ、第一天久で降りて県立博物館へ。


博物館


昨年11月に首里より移転してオープンした新しい博物館です。
残念なことに、案内が少なく入口がわかりにくく建物を一周させられました。
館内は新しいだけあり、原始時代から現代まで多数の資料で沖縄の歴史の変遷を展示しています。
近世の展示では、1/48・16.5mmで作られた模型を中心に沖縄県営鉄道を紹介したコーナーもありました。
沖縄の歴史は、世代わりの歴史と言われるように尚家の独立国家(ウチナー世)、薩摩・日本(ヤマト世)戦争(戦世)・アメリカ(アメリカー世)に支配を受けた複雑な歴史は考えさせられます。
この博物館のスペースでは小さ過ぎる位でした。

展示を一通り見学し、おばさんが一人で店番するミュージアムショップへ。
何か買おうというより、大音量で流れるセンバツ高校野球決勝戦・聖望学園対沖縄尚学戦が気になったのであります。

気になるのは本を読みながら店番をしているおばさんも同じようで、試合が動く度に本から目が離れてラジオを睨みます。
沖尚は好調のようです。

さて、識名園に向かうべくおもろまち駅へ。
途中のサンエーメインプレイスまえのウェーブビジョンでは、通りがかりの人や警備員、ビラ配りのねーねー等多くの人が試合に見入ってました。

沖縄尚学


沖縄尚学が点を入れる度に、大歓声や拍手が起こります。
2イニング程観戦し、おもろまち駅へ向かいました。

途中、あるものが目に留まりました。
15m程のコンクリートで固められた高台です。もしかして・・・。
新しい店の並ぶ新都心で明らかに異様な物です。
高台の横にある長い階段を登り、頂上まで上がってみると説明盤がありました。
それによると、この場所は太平洋戦争中激戦地であった『シュガーロフ』という丘で、戦争の惨状が解説されていました。
やはりそうだったんだ・・・。
『シュガーロフ』という名前だけは知っていましたが、以前から何度も通った新都心の入り口にあったとは気付きませんでした。

『シュガーロフ』という名前の由来は、丘から染み出る血糊をジャムに見立てたことだそうで、戦闘の激しさを物語っています。
『シュガーロフ』の真向かいに、今話題のDFSや煌びやかな街が並び大きなギャップを感じずにはいられません。

『シュガーロフ』から、軍の本部があった首里城を望みます。

シュガーロフ


基地の問題を考えると平和な街とは言い難いのですが、戦争の惨事が二度と繰り返されない事をただただ祈るばかりです。

さて、おもろまち駅へ。
歩いていたら、腹が空いてきました。
ベタだけれど、沖縄そばを食べたくなり店を探します。

そば屋を探しながら歩いていたら、いつの間にか安里駅前に。
栄町市場の入り口にある沖縄そば屋に入り、そば付きの定食を食べながら野球中継を見ます。
沖縄尚学は、0点を守りなおも好調。
ここでも、沖縄尚学のチャンスになると歓声が上がります。

ここまで沖縄尚学が好調だと、優勝の瞬間を多くの人と分かち合いたくなってきました。
そば屋を出て、予定変更。沖縄一の繁華街パレットくもじ前で観戦することにしました。

走る車の台数も少なく街中が静まり返っていますが、野球中継だけはどこからでも聞こえて来ます。

横断歩道を隣で待つおばさんはワンセグで見入っていますし、 ガソリンスタンドからは大音量で中継が流れてきます。
工事現場では作業員が手を休めてラジオに聞き入り、学校では職員室の先生が総立ちでテレビ中継に見入ってます。(←外から丸見えw)

沖縄のみんなが、沖縄尚学を応援しています!!
ちばれーよ(頑張れよ)!!!
沖尚!!!

沖縄の結いの強さをつくづく実感します。

途中、沖縄尚学高校近くの与儀公園に寄り道し、公園に保存されているD51を見に行きます。

D51


蒸気機関車を見たことの無い沖縄の子供たちへのプレゼントとして、九州の国鉄職員がカンパをして沖縄へ贈ったものだそうです。
塗装が少々荒れていますが、丁寧に保存・管理されているようで、部品の盗難や落書き等荒らされてはいません。
ちなみに、沖縄出身のアーティストD-51はこの機関車から名前を付けたそうで、国鉄職員達の想は伝わっているようです。

さて、パレットくもじ前に着いたら、試合も終盤。

沖縄尚学2


多くの人が見入っています。

パレット


ただ地元の高校というだけでなく、皆が自分の事のように応援しています。
これも、沖縄の人の結いの強さなのでしょう。

9回表、最後の一球がストライクに決まり沖縄尚学の優勝が決定しました!!
大歓声が起こり、隣同士見知らぬ者どうしが握手やハイタッチで喜びを分かち合っています。
我がことのように涙を流す人もいます。
とても良い光景を見ることができました。。

時計を見ると、3時近く。
調べてはいないませんが、識名園は時間的に難しそうなので予定を変更し、 那覇バスターミナルからバスで糸満へ向います。


これから、県営鉄道の跡を見に行こうと思います。
沖縄県営鉄道は、大正3年に那覇(現・那覇バスターミナル)か与那原まで9.4kmの与那原線が開業したのを皮切りに、同11年に嘉手納までの嘉手納線23.6km、同12年に糸満までの糸満線18.2kmが順次開通しました。
全線762mmの軽便軌道であった事から、『ケービン』と呼ばれこちらの方が通りが良いようです。
軽便鉄道とは言え、バス事業を兼業したりやることは本格的でした。
しかし、太平洋戦争で壊滅的な被害を受け、復旧される事なく廃止されてしまいました。
廃止というより自然消滅的に消えてしまい、普通の鉄道でいう廃止日(運行最終日の翌日)も明確に記録されていません。
書類上では、国鉄民営化の1987年3月31日に地方鉄道法廃止と共に廃止された事になっているそうです。

今乗っている沖縄バスの起源は、戦後開設された県営バスになるそうで 、『ケービン』の通じるものがあります。

長いこと『ケービン』の廃線跡は壊滅的な被害を受け絶望的・・・とされていましたが、それは沖縄自体の認知度が低かったからに過ぎません。今でも一日では見て回れない程残っています。
沖縄県内では、『ケービン』の跡や歴史を記した著書も多くあります。

バスに揺られる事40分。
糸満ロータリーで降ります。

糸満市の中心でありますが、『ケービン』の糸満駅は少し離れた糸満中学校付近にあったようで、これから探しに行きます。

ロータリーから県道77号線を東方向へ歩き、糸満小学校付近で糸満駅跡を探します。
近年になって、糸満駅の便所だった建物が残っている事が紹介され話題になりました。
その写真を見ましたが、朽ちかけておりいつ撤去されてもおかしくないような状態でした。

付近を探しますが、らしい建物が見つかりません。
撤去されてしまったのでしょうか・・・???
不安が過ぎります。

諦めかけて次のポイントに行こうとしたら、その建物の背景に写っていた建物とそっくりの建物を見つけました。
住宅に囲まれた人が一人通れる程度の細い路地を半信半疑で進むと、その建物がありました。

便所跡


近所のおじさんに確認したら、二、三十年前前までは公衆便所として使っていたようだとの事。

個室二つと、小便器が設置されていたであろう跡が残っています。
土台の部分には、戦時時に被弾した跡も残っていました。

糸満駅


トイレ盗撮w

大便器


個室内は、雰囲気が良く残っていますね。

おじさんの話だと、画像の路地が汽車道になるそうです。

線路跡


当時の糸満駅の写真を見ると築堤の上を汽車が走っていますので、周辺の雰囲気と合致します。

沖縄県営鉄道の貴重な遺構ではありますが、住宅地の中にあるので見学する時は、近所の方の迷惑とならないように心掛けてください。

さて、次のポイントへ移動します。

さらに県道77号線を東へ。
照屋(東)交差点付近にある橋台跡を見に行きます。
バス停なら、高嶺入口からすぐの場所です。

この橋台跡は畑の中にありいつ撤去されてもおかしくないのですが、何故か今まで無事に(!?)現存しています。

長いこと『ケービン』で現存する唯一(実際は違う)の構造物と紹介されてきたものです。
私も長い事探していた遺構でした。

実はこの場所、前回(12月)沖縄に来た時に照屋(東)交差点を車で通過していたのですが、気付かなかったのです。
『ケービン』の跡もそうですが、廃線跡とは意外と身近にあるのかもしれません。

なんだか不思議な形の遺構です。

高嶺橋台


当時は築堤であり、用水路を越える箇所だけコンクリートを打ったもので、この遺構の間を築堤が通っていたそうです。

高峰2


築堤は撤去され、コンクリート部分だけ残った結果だそうです。

長い事探していた遺構を見る事ができ、大満足で那覇へ戻ります。
高嶺入口バス停から那覇へ行くバスもあるのですが、行ったばかり・・・。
この後、義父とライブハウスへ行く予定なので、タクシーで最寄の奥武山公園駅までワープ。

奥武山公園駅から乗ったゆいレールは、早くもお祝いムードでした。

おめでとう!!!!

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  1. 2008/04/09(水) 20:11:51|
  2. 日々の事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

こんばんは。
一日では見て回れないほどの遺構とは…市井に刊行されている書籍の記述を鵜呑みにはできませんね。
現地踏査の重要性を再認識しました。
  1. 2008/04/11(金) 20:55:37 |
  2. URL |
  3. 副会長 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

副会長さんこんばんは。

私自身、沖縄に鉄道の遺構が多かった事にはびっくりしています。
現地踏査に勝る物はありませんが、その種を蒔いてくれるのは少ない情報の刊行物だったりします。
  1. 2008/04/13(日) 23:02:58 |
  2. URL |
  3. gino-1 #-
  4. [ 編集]

初めて知りました。

自称第二の故郷なんていいながら沖縄は大好きな場所で数え切れないほど通っています。
しかしケービン鉄道のことは昨日のNEWS23で初めて知りました。
沖縄に鉄道があったことにもビックリさせられましたが廃止になった理由を聞いて衝撃的で涙が止まりませんでした。
隠蔽してはいけないこと、忘れてはいけないことまだまだ沢山あります。
考えさせられる夜でした。
  1. 2008/06/24(火) 15:41:39 |
  2. URL |
  3. のりたま #-
  4. [ 編集]

のりたまさん、はじめまして。

私は見れませんでしたが、先日のNEWS23では慰霊の日特集という事で軽便鉄道の惨劇が紹介されていたそうですね。

鉄道ファンの私は、ケービンが存在した事を知っていましたが、深く調べる事はしませんでした。
その後、沖縄に興味を持ち、偶然にも沖縄の人と結婚しました。
沖縄の親戚の人達と話すと、沖縄の事についてあまりにも無知だった事を恥ずかしく思い歴史を調べその一つでケービンの跡を辿りました。
沖縄の歴史は、知れば知るほど考えてさせられる事実が実に多くありますね。
  1. 2008/06/30(月) 19:05:40 |
  2. URL |
  3. gino-1 #EBUSheBA
  4. [ 編集]

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