もーあしび日記

日々の話題や趣味など色々と。

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うふあがりじま

さて、沖縄3日目は、嫁が友人の結婚式に参加するので自分は1日フリー。
明日は義父との“約束”があるので、自由な時間は今日が最後です。

なら、日帰りでどこかの離島へ行ってみましょうかねー。
実は、沖縄の離島は渡嘉敷島に一回行った事がある以外は全く行っていません。

とりあえず空港目指して、今日も朝からバスへ。

愛知


古島駅で乗り換えて、那覇空港へ。
さて、何処の島にゆきますかね~。
宮古・石垣あたりなら、今後も行きそうなので、先ずなかなか機会無さそうな南大東島か、粟国島へ。
粟国は飛行機が小さいけれど、午後の程よい時間に那覇行きのフェリーもあるので、島に取り残される事は無さそうです。
しかし、飛行機は天候調査中とのアナウンス。
帰りの飛行機が満席なら島に取り残されるリスクはあるけれど、今日の帰りの便には空席がある模様です。
それなら・・・と、南大東島に決定しました。

琉球エアーコミューター(RAC)のカウンターで航空券を購入し、空港のA&Wで新聞を読みながら朝食。

AアンドW


A&Wは、日本では沖縄にのみ店舗のあるファーストフードで、大きなハンバーガー、濃い味付けのカーリーフライ、濃いオレンジジュース等独特のメニューです。
値段は高いのですが、マックより旨い!!!
高い値段を出すだけの価値はあります。

新聞一面は、昨日優勝した沖縄尚学がデカデカと載っています。

チケット


一緒に写っている航空券は、コンピューターで発券されていますが磁気の入っていない物でした。
昔のマルス券みたいですね。(←分かる人には分かるネタ)
裏は、お約束の文章ですね。

チケット


早目に手荷物検査を済ませて、駐機してある飛行機を眺めます。

38人乗りのボンバルディアDHC-8-100ですね。

DHC-8-100


RACの主力機ですね。

やたらと小さい機体は、BN(ブリテン・ノーマン)の アイランダーもいますね。

BN


定員9人。
しかも、9人目は機長さんの横の席です。
今日は欠航になりましたが、粟国行きの機体です。
いつかは乗ってみたいですね。

さて、南大東行きRAC861便の搭乗口は28番。
普通の搭乗待合室から階段を降りた場所でした。

改札口には自動改札機も無く、係員が半券(磁気券と違って小さい方)を切り取ってくれます。改札を通るとバスに乗せられ、飛行機の駐機場所まで移動します。

待っていたのは、最新の50人乗り・DHC-8-300でした。

DHC-8-300


南大東島便は、観光客は少ないものの、島民と工事関係のビジネス客で需要の高い路線だそうです。
島民と思われる顔見知りの同士で会話している人や、工事関係者と思われ作業着姿の人が大半です。
観光客と思われる乗客は、カメラを下げた夫婦連れと、大きなリュックを背負った若い女性位です。
そんな中、軽いショルダーバック一つの私は、かなり浮いた存在です。

ドアが閉まると、客室乗務員によるエマージェンシー・デモ。
小さいとはいえ、やることはジャンボ機と同じです。
程なくエンジンの音が大きくなり右側のプロペラが回り出します。
エンジンの振動が機体全体に伝わる感覚は、今は無きYS-11通じるものを感じます。
左側のプロペラも回り出し、短い滑走で飛び立ちました。

今から行く南大東島は、沖縄本島の東約400kmの海上にある大東諸島(他に、北大東島・沖大東島)の中で一番大きな島です。
東西5.78km、南北約6.54km、周囲20.8km、面積は30.57平方kmのやや長方形をしています。
珊瑚礁が隆起してできた島で、周囲は15~30mの絶壁で囲まれ、島の周囲より中央部の標高が低くおわんのような独特の形態です。

古くから『うふあがりじま』遥か(=うふ)東(=あがり)の島と呼ばれ、存在は知られていたものの長らく無人島でした。
明治18年に沖縄県庁の探検により日本国標が建てられ沖縄県に所属した後、何度か開拓を試られるも失敗に終わりました。
その後、八丈島や鳥島で絹織物業・羽毛の採取で巨万の富を得た玉置半右衛門にて開拓され、八丈島や八重山・宮古から労働者が入植し黒糖製造を主産業として発展しました。
昭和21年に村政が敷かれるまでは、玉置商会から東洋精糖、日糖と持ち主は変わるものの会社の私有地とされ、学校・警察・消防・郵便等も全て会社の私営で行われ治外法権的な独立国家の様相を呈していました。
戦前、この島を支配していた大日本製糖は、「この島こそが植民地経営の最も貴重な参考資料である」と自画自賛していたそうです。

農民は小作農でしたが、昭和39年に悪名高きキャラウェイ高等弁務官の意向で、土地所有権は農民にある事が認められました。
現在では、一戸あたりの農作面積が大きく、沖縄の市町村の中では世帯あたりの収入が一番高くなっているそうです。

この島は絶海の孤島ゆえ独特の自然が多く残っているそうで、ダイトウオオコオモリや、大東島東海岸植物群落等特徴的な自然が多く残っています。

さて、今回の来島の目的は、廃線跡!!

こんな最果ての島に鉄道が?と思われるかもしれませんが、サトウキビ運搬の為の762mm軌間の専用鉄道が30kmあまりも敷設されていたのです。
明治35年に製糖の始まりとともにトロッコ用鉄道が完成してし、大正6年に762mm軌間に改軌して本格的なサトウキビ運搬鉄道となりました。
動力は蒸気機関車でしたが、昭和31年からはディーゼル機関車も導入され昭和58年まで運転されていました。
サトウキビ運搬用とはいえ、客車もちゃんとあり島民の足となっていたようです。

鉄道趣味人でこのさとうきび列車(シュガートレイン)の存在を知る人は多いのですが、島までのアプローチが難しく行く人は少ないようです。
この島への交通は、1日2便の那覇からのRAC便と、那覇・泊港から月数回の運航される客貨船『だいとう』のみです。
RAC便は、安い時季でも片道15,000円以上はしますし、『だいとう』は運航は天候に左右されやすく就航回数も安定していないそうです。
また、台風シーズンになると、空路も海路も欠航率が高くなりさらにアプローチが難しくなるそうです。
それでも、平成9年に開港した新空港により、飛行機が19人乗りのDHC-6ツインオッターから39人乗りのDHC-8-100になりだいぶアプローチがしやすくなりました。

ちなみに、南大東島には気象庁の観測所があり、台風シーズンには必ず名前が出てきます。

「間もなく当機は南大東空港に着陸いたします・・・」
のアナウンス。

窓の下を見ると、岩礁に囲まれた小さな島が見えました!!
飛行場の滑走路も見えます。

あれが憧れていた南大東島だ!
いよいよだと思っていたら、飛行機は島の上を通り過ぎて行きました。
ずいぶんと大きく旋回するなぁ・・・と思っていたら、そのまま高度が下がり着陸しました。

初めに見た島は、北大東島でした。
南大東島と10km先の北大東島の間にも定期航空航路があり、この路線は世界最短の路線だそうです。

さて、南大東島に到着です。

DHC-8-300/2


モダンな建物ですね。

空港


受け取る手荷物も無いので、そのまま出口へ。
島にいる間の足として、レンタバイクを借りようと思います。
しかし、観光案内のカウンターも無くどうしようかと思い売店のお姉さんに聞いてみたら、
「集落のある場所までは、歩くと40分位ですけど、あそこにいる民宿の方が500円で送ってくれますよ。」
との事。

とりあえず民宿のおっさんにお願いし、集落のある在所まで送ってもう事にしました。

同じ飛行機に乗っていた、夫婦連れと若い女性と一緒に泥だらけのワゴン車にの乗せられ10分ほどで在所に着きました。
自分以外の2組は、宿泊客のようで民宿の中へ入って行きました。
おっさんに500円払いました。
白タクのようですが、バスやタクシーの無い地域で行われる有償輸送という方法です。

おっさんに聞いたレンタバイクの場所を訪ねてみます。
戸が閉ざされて留守のようです。迷っていると、新聞配達のおばさんが、
「今日は、那覇に行っていて留守のはずよ。バイクならあっちのパン屋さんで借りれるよ。」
と、教えてくれました。
何故、パン屋がレンタバイクなのか分かりませんが、行ってみたら・・・
「ウチ、バイクやめたのよ。学校の前にある車屋さんで・・・」
と、ここでも空振り。
3件目の車屋(整備工場)でバイクを借りたい旨を申し出ると、
「隣の電気屋で・・・」
と、言われるままに電気屋で手続きをすると、整備工場からバイクが出て来ました。
看板には同じ苗字が記されていたので、島の機械屋さんという事なのでしょう。

早速、バイク(原付)に乗って、廃線跡を探しに出発!!


実は、公道で原付き乗るのは初めてだったりする。
島の地図が欲しいが、どこかお店見つけて買えばイイや。

とりあえず道なりに真っ直ぐ。
西側の道路を北へ向かってみました。

北港という看板に誘われて、港に行ってみました。

北港


南大東島にはいくつか港があり、天候などにより船(貨物船・客貨船)の入港する港が変わるそうです。
北港もその一つです。
一見、普通の港ですが断崖の上にあるので、海面まで相当の高さがあります。
貨物はもちろんの事、人もコンテナのような籠に入りクレーンで吊り上げられて上陸します。

荒波が来る事で有名ですが、今日は穏やかです。
釣り人が多くいました。

さて、少し戻って漁港へ。

漁港


今まで、漁船もクレーンで釣り下ろして海に出ていましたが、断崖の一部を大きく削り、入り江を作り漁港としたものです。
書くと簡単ですが、工事のスケールの大きさをつくづく実感します。
一部で供用が開始されていますが、まだまだ工事中との事。
この漁港はあくまでも、漁民の為の物で他の船は使えないそうです。


海水プールの塩屋プールです。

sioya



断崖の入り江に出来た天然の海水プールです。
海岸の無い南大東島では、ここで海水浴をするそうです。

西港に入港している船が見えます。

船


この写真だと、断崖の高さがよく分かりますね。


舗装されてない土ぼこりの立つ道を走ったり、ひたすら畑の中の道を走りながら、サトウキビ列車の跡を探します。
鉄道の廃線跡はなんとなく残る物ですが、畑の中を走っていたサトウキビ列車の跡を探すの困難なようです。
役場に聞いてみるのが手っ取り早いのですが、今日は生憎土曜日・・・。

地図を買おうと店を探しますが、それもありません。
なんでもある街中に暮らす自分にとっては、ひたすら何も無いというも良いものです。

結局、在所に戻り雑貨屋で地図を購入しました。
ありがたい事に、レールが残っている場所も4箇所記されており、助かります。
今回、南大東島へ行く機会があると知っていれば資料も用意せきたのですが、急遽の事だったので何も用意していません。
とりあえず、この地図のみが頼りです。

廃線跡を見に行く前に在所のふるさと文化センターを見に行きます。
Aコープのすぐ裏手にあり、200円の入館料を払い中に入ります。
島の開拓時代からの生活用具や、土地所有権問題の時資料、島の動植物の剥製や写真等小さい資料館ながら濃い内容の展示でした。

この資料館の脇に、サトウキビ輸送で活躍した車輌が保存されています。

大東SL


蒸気機関車は、残っていた足周りに車体を復元したものだそうです。

キャブ


キャブもしっかり復元されていますね。

客車


島民を乗せて走った客車です。
車内は木製の椅子で、乗り心地は良いとは思えませんが、こんな汽車に乗って島の中をノンビリと走るのも楽しそうです。

こちらは、廃止まで活躍したディーゼル機関車ですね。

DL


那覇の壷川東公園に保存してある機関車とは少し形が違うようです。

後の貨車は、ハーベスター(刈り取り機械)からサトウキビを直接積み込みのできる貨車です。

キビ箱


トロッコも保存されています。

トロ


屋根付きの立派な施設に保存されていますが、錆が浮いていたり壊れている箇所がありました。
人の手というより自然風化のよですが、もう少し手入れをしてもらえたら・・・と思います。
なかなか難しいでしょうが・・・。

ふるさと文化センター


車輌の保存の経緯を記した説明板もあります。

説明盤


この近くに、初期のサトウキビ圧搾機も保存されていましたが、説明板がなければ何だか分かりません。

在所はサトウキビ列車の車庫があった場所で、今も機関庫が残されています。
台風の多い南大東島らしくしっかりとした石作りの建物です。
正面の出入口は面影が良く残っていますね。

機関庫


ナローの専用線ながらこの規模の車庫を構えていたとは、規模の大きさには驚かされます。
当時の写真を見ると機関庫付近はヤードだったようで、それだけのヤードを必要としていた専用線がこの小さな島にあった事にはつくづく驚かされます。

これも鉄道施設・・・

施設?


だったかもしれませんね。

もう時刻は13時近い時間。
15時過ぎにはバイクを返して空港に向かわないとなりません。
さて、地図を頼りに残り時間でレールの跡が残るポイントに向かいます。

地図を頼りに、島の西側・幕(はぐ)下道路沿いにあるレールです。
交差点なのですが、交差点に名称があるわけでもなく、道路も無名なので、なんと場所を表現して良いやら・・・。

殆ど道路に埋まってしまい、言われないと気付かないよな状態です。
私も、この場所を2回通過していました。

廃線ポイント1


廃線ポイント1-2


しかし、撤去されるような工事が行われる様子も全くありません。

続いて、島の東南部にある2号ポイントに向かいます。
ポイントというのは、サトウキビの積み出し場所の事だそうです。

サトウキビの刈り取りは12~3月の冬季で、4月の今は刈り取られたばかりで何も無い畑が広がります。
島の形状の関係で内陸から海は見えず、小さな島なのに広大な陸地にいるような錯覚を覚えます。

何故か道で干からびたカエルをよく見かけます。
池の多い南大東島ではカエルも多いようです。

畑の中の道をひたすら走り、2号ポイントに着きました。

2号ポイント-1


コンクリに埋まりながらも、軌間としてのレールとガードレールがしっかりと残っていました。

付近の排水溝を見て・・・あれ?????

あれ?


片側の縁の部分に注目。

やはり


レールが利用されていました!!!
こんな再利用法があるんですね。

2号ポイントのすぐ近くにもレールの残る場所があり原付を飛ばします。

この島には、地名が少ないようで場所を示す看板でもあれば・・・と思うのですが、殆どありません。
道にの根元にちょこっと植えてある看板程度です。
殆どが、知った人しか使わない道なのでそれで済むのかもしれません。
聞いた話ですが、看板を作っても台風で壊されるそうで納得できる話です。

2号ポイントのやや北東方向にある、レール跡です。

ポイント3


土に埋まっていますが、現役当時の写真と見比べても大差は無く、一番現役当時に近い形状を残している場所かもしれません。

ポイント3-2


直進するレールの行く手を木が阻み、木の成長を見ると廃線から24年という歳月を実感します。

ポイント3-3


汽車が走ってきそうな雰囲気ですね。

さいごのポイントは、島東北部・新東地区です。

フクギやテリハボクの並木を通り、空港の脇をかすめて北へと原付を走らせます。

たまにすれ違う人や、農作業をしている人が何者かと私を見ます。
ま、観光客が来ないような所をウロウロしていれば不審者そのものですね。。。

最後のポイントは、道路の中にありました。

ポイント4-1


現役時代からこのようになっていたのかは分かりませんが、埋められないのが不思議ですね。

ポイント4-2


ここでもガードレールが残されていました。

これで、廃線探訪は終わったと思ったのですが、帰宅して資料を確かめたら『フロンティアロード』なる道が、在所と西港を結ぶサトウキビ列車の廃線跡そのものだった事を知りました。
さらに、フロンティアロード近くにレールがあるらしいとの情報も。
下調べは大切ですね。。。

話は戻して、続きです。

在所に帰る途中、『島まるごと館』に立ち寄ろうと地図を頼りに進むと・・・

旧空港


旧・南大東空港のターミナルビルが健在でした。
今では、サトウキビを原料にしたラム酒工場になっているようです。

『島まるごと館』は、パネル展示を中心に自然を紹介する施設でした。
島では少ない本の資料が豊富な為か、島の子供たちが集まり児童館のような様相でした。
子供たちが楽しそうに遊ぶ姿は微笑ましいものがあります。

途中、西港に寄ってみました。

西港吊り上げ


貨物船ですが、荷卸中でした。
画像でもわかりますが、岸壁の高さは独特です。

ボイラー小屋


石造りの建物は、1924年頃(資料でもそうなっています)に建設されたクレーンを動かす為の動力を作ったボイラー小屋の跡だそうです。
国指定の文化財だそうです。

西港を見下ろす高台にある、上陸記念碑です。

上陸記念碑


1930年に立てられたものだそうです。

さて、南大東を堪能し、バイクをレンタカー屋さんに返却します。
おばさんに、
「空港までは、民宿の人に頼めば送ってもらえますよね?」
と、尋ねると無言で頷いた後に、
「ちょっと待ってて・・・」
と、どこかに電話しはじめました。
「お兄さん、15:40にここに来て。それまでバイク使っていていいよ。」

という事で、在所周辺をブラブラして時間を潰して再びレンタカー屋さんに行くと、
おばさん:「このお姉さんに送ってもらって。空港の売店でお土産買ってね~。」
私:「はい。ありがとうごじました。・・・???(しかしなぜに土産)(お姉さんに)お願いしす。」
姉:「あら、朝の・・・」

あ、空港の売店のお姉さんだったのね。
そんな訳で、商売に向かうお姉さんの車に乗せてもらう。

道すがら、お姉さんから島の話を色々と伺いました。
・殆ど、サトウキビだけの島だけど、数年前からカボチャの栽培が始まった。
・島に住んでいながら、分からない道が多くお使いの時は地図を書いてもらうが、目印が木だったりする。
・沖縄の人でも滅多に南大東を訪れる人はいないが、内地からの観光客は少し増えた。
・明日なら船の入港日で吊り上げが見れた


等、書ききれない位話を聞きましたが、どれもこの島だからこそ納得のできる話でした。

途中、絶景だからと海軍棒に寄ってもらいました。
この地名の由来は、海軍が上陸したからだそうです。


海軍棒


塩屋と同じ海水プールですが、満潮なので、プールになっていません。
こういう時は遊泳禁止だそうです。

景色


この場所からの日の出は美しいそうです。

さて、空港に到着し、帰りの搭乗券を購入しました。


カウンター



小さなカウンターから出てきたのは、こんな縦長の券でした。

航空券


席番がシールで張られており、搭乗時に上の半券が切り取られます。
コンピューター発券とは違う味のある券です。
でも、裏面には、コンピューター券と同じ事が書かれています。

裏面


感謝を込めてお土産屋さん色々と買い物をしていると、北大東島から帰りの飛行機が到着しました。

DHC-8-100 MMD


帰りはDHC-8-100です。
JJカラーより個性的でイイですね。

小さな空港でも手荷物検査はちゃんとあり、お約束の放送はラジカセで流されていました。

放送


歩いて乗り込みます。

乗るよ


いよいよ南大東島と別れの時が来ました。
短い滑走路を飛行機はあっけなく飛び立ちました。

小さな島ですが、文化の違いや人の温かさ大きな思い出を作ってくれました。
そして、星野洞や西港の大波、南大東~北大東の世界最短フライトなど大きな宿題も作ってくれました。

またこの島に来ようと思います。

ありがとう南大東島!!

島が見えなくなるまで外を眺めていました。

このRAC便の客室乗務員さんは非常に気遣いの上手な方で、子供を見つけると絵本やキャンディーを配り喜ばせ、お手洗いから出たお客さんにお絞りを手渡したりと、大手のマニュアルに従った形式ばった気遣いとは違う受けても、見ていても心地の良いサービスをされており感心しました。

到着時のアナウンスで「・・・JTA/JALグループの琉球エアーコミューター・・・」と言っていましたが、こういうところはJALグループの色に染まってほしくない部分ですね。

心地良い1時間のフライトを終えて那覇空港に到着しました。

義父との約束を果たす為の買い物をし、嫁の実家に帰宅しました。

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  1. 2008/04/14(月) 19:21:36|
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