もーあしび日記

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40年目の沖縄へ~3

5月11日。
今日の沖縄も快晴。朝から気温が上がっていいます。

今日から、仲間と共に5・15平和行進・南コースへ参加します。
5・15平和行進は、1978年から復帰後も変わらない基地の島沖縄の内実を問う平和運動としてスタートし、私たちが歩く南コースの他、辺野古海岸を嘉手納まで歩く東コース、読谷から北中城まで歩く西コースと3コースあります。

南コースは、主に南部の激戦地を回るコースななります。

沖縄県庁前で南コースの団結式へ参加し、いよいよスタートです。

DSCN2756.jpg

那覇の中心部を隊列を組んで歩いて行きます。

那覇から瀬長を経て豊見城市内へと向かいます。
書くと簡単なのですが、隊列を組んで軍事関連施設や戦跡近く通るので遠回りしながらゆっくり行進して行くので瀬長まで行くのも時間がかかります。

普段、沖縄へ来た時は車で何度も通っている場所ですが、歩いて周りの風景を見ながら通ると新たな発見が多くあるものです。


糸満市の西崎運動公園で昼食休憩を取った後、さらに南下し、真栄平入口より分かれて白梅の塔を目指します。


DSCN2761.jpg

真栄平入口を曲がってからは軍民問わず多くの慰霊塔があり、今歩くこの場所が激戦地であった事を思い知らされます。

そして、白梅の塔で休憩。

DSCN2763.jpg

この白梅の塔は、昨日訪れた『ひめゆりの塔』と同じく、学徒動員で野戦病院へ看護兵として派遣された女子学生を祀った慰霊塔です。

白梅学徒は沖縄県立第二高等女学校の女子学生56人が動員された学徒隊で、東風平町(現・八重瀬町)の野戦病院へ配属されました。
戦況の激化と共に学徒隊は解散、戦地を彷徨うことになった生徒の多くは戦禍により犠牲にとなりました。

この白梅の塔のすぐ脇にあるガマ(自然壕)に追い詰められた白梅学徒のグループがあり、6月22日に米軍から馬乗り攻撃を受け、ガマの中で集団自決をしました。

この白梅の塔は、白梅学徒はじめ沖縄戦の戦禍で犠牲となった多くに方の鎮魂と恒久平和を願って昭和22年に建立されたものだそうです。

自決のあったガマのも見学できるようになっており、自決した場所まで行く事ができます。
幾つかの戦跡となった壕やガマを見ましたが、このガマは特に気が重く感じました。

休憩の後、再び行進を再開します。

ルートは、青々と葉が茂る畑の中の道をひたすら歩きますが、この緑豊かな場所が67年前は激戦地だあったわけです。

当時は今のような道も無く、どこから弾丸が飛んでくるかわからないような状況の中を一般住民や学徒達は逃げたり、職務を遂行をしていたわけです。
今日は晴れていますが、今の沖縄は梅雨時。
天気も不安定で毒蛇のハブなども多数生息する劣悪な環境であった事を考えると、戦争の惨さをつくづく感じます。

程なく、見覚えのある道に出て程なく1日目のゴールとなる姫百合の塔へ到着です。

こおこで、ひめゆり資料館の宮城館長から学徒時代の体験談等を伺い、この日は解散となりました。

沖縄へ何度も足を運んで、戦跡をそれなりに見ていたつもりですが、まだまだ見ていない戦跡が山ほどある事を実感しました。

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  1. 2012/05/29(火) 09:05:55|
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