もーあしび日記

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旅に出ていました-5(ヒロシマを見る)

2年ぶりとなった広島。
目的は友人に会う事なので、友人に会う夜までは時間があります。

2年前に見落とした戦跡を回ります。
『戦跡』とは年に何度か行く沖縄でよく聞く言葉で、この言葉がふさわしいかは分りませんが、原爆で被爆
した建物を見て回ります。

・広電元・千田町変電所


DSCN5551.jpg DSCN5550.jpg

1921年に広島電気軌道火力発電所として、煉瓦作りのボイラー棟と、発電棟して建設されました。
発電の方は後に中国電力からの供給になり、ボイラー棟は倉庫になったそうです。
1945年8月6日の原爆投下では、被害を受けたものの、損傷が少なかった為に3日後には電車の運行が再開されたそうです。
発電棟は、後に外壁が修理され、今のような白っぽい外壁になったそうです。

・広島赤十字病院(広島赤十字・原爆病院)旧病棟


DSCN5556.jpg DSCN5560.jpg


1939年5月1日に開設され、1945年に被爆。
爆心地より1.5kmの距離にあり、爆風で窓枠が変形したものの、炎上は免れ、救護所として多くの被爆者の治療にあたったそうです。

1993年に病院を建て替える際に、貴重な原爆の生き証人として一部がモニュメントとして保存されています。

DSCN5562.jpg

大きく変形した窓枠が、爆風の激しさを物語っています。
モニュメントのは、壁のコンセントが残されており、作り物でない事が分ります。

DSCN5559.jpg

同じ場所には、爆風によって粉々になった無数のガラス片が刺さった壁の一部も保存されています。

DSCN5557.jpg

・広島城

DSCN5568.jpg

広島城も原爆で被害を受け、現在の物は戦後に再建されたものです。
敷地内には、1829年まで大本営が置かれ、建物は原爆で倒壊したものの基礎は残っています。

そして、原爆投下ともっとも重要な施設が中国軍管区司令部跡です。

DSCN5570.jpg DSCN5569.jpg



正確には、広島城と隣接していいる広島護国神社の敷地内になるそうです。
爆心地からわずか790mにあったものの、軍施設の為に強固に作られており、施設内にいた人の犠牲者はなかったそうです。
この施設にあった軍用電話から、広島市への原子爆弾投下の第一報を外に向けて伝えられたそうです。


・袋町小学校

DSCN5588.jpg DSCN5587.jpg

広島市内中心部にある小学校で、1937年に建設された当時としては近代的なコンクリート作りの校舎でした。
1945年8月6日の原爆投下により損傷を受けたものの、救護所として利用されました。
また、原爆により煤けて黒くなった壁に、床に散らばっていたチョークを利用して被爆者同士が伝言を残しました。
その跡が、校舎建て替えの際に発見され、旧校舎の一部が保存・公開されています。
館内は撮影禁止の為にお画像はありませんが、原爆投下という悲惨な状況の中でも必死に身内を探し、生きようとした人々の姿が目に浮んできます。

広島市内には多くの被爆建物が今でも多く残り、当時の悲惨さを現代に訴えています。

戦争をするのも人間ならば戦争を止めるのも人間。
そして、過去の過ちに目を叛けないことも大切です。
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  1. 2012/11/29(木) 23:08:50|
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