もーあしび日記

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10月11日

1998年10月11日。。。
京阪・京津線の御陵〜京津三条間が最終営業日を迎えました。

最終日には行けませんでしたが、その数日前に訪れた日のショットです。

img025.jpg

駅には廃止のお知らせが告知され、間もなく最終日・・・という雰囲気でした。
京津線の出発地・三条駅の表情です。

img027.jpg

終わりが近いという事もあってか、カメラを向けてるオバチャンの姿もありますね。
自動改札機も二世代位前の形ですし、フラップ式の発車案内板やそれに表示された『準急』も懐かしいですね。

本線が地上時代の三条駅は知りませんが、当時の写真を見ると、改札口方向から手前側に本線のホームがあったようで、改札口先の階段や、80系が停っている京津線のホームは面影が残っていたようです。

廃止から14年。。。。

京津線が廃止になってから暫くは大津線から足が遠のいていたのですが、どういう縁だか今は毎年大津へ。

この頃から京津線・大津線とは縁があったようです。

さぁ、今年もそろそろ大津の季節だなぁ。。。
  1. 2011/10/11(火) 14:46:13|
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かぶった。。。。

十ン年前の高校生の頃、新子安駅で撮影していたら『リゾート踊り子』がやってきました。

慌ててシャッターを切ったものの、209系とモロ被り・・・・。

img020.jpg

で、悔し紛れに後打ちをしたら、スカ線の113系と被り・・・。

img021.jpg

当時としては悔しかったのでしょうけど、今となってはかぶった車輌も過去のものに。。。
今となっては、イイ思い出のショットです。

それにしても、スカ線の113系をマトモに残していないのは今となっては残念な話です。
  1. 2011/10/11(火) 14:16:55|
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西鉄宮地岳線

西鉄電車には天神大牟田線系統の路線の他、貝塚〜西鉄新宮までの貝塚線があります。

この貝塚線は他の西鉄電車とは接続しておらず、また、軌間も生い立ちの違いから天神大牟田線の1435mmと違う1067mmとなっています。

貝塚線は、2007年の部分廃止までは、沿線にあった宮地嶽神社より名前を取って、『宮地岳線』の名前でした。

1999年(だったかな)に高校の同級生と四国・九州への撮り鉄旅行に行った際に、JR派の同級生と別れて宮地岳線の電車を撮影した時のカットです。

今では、600形が殆どになってしまいましたが、このころは個性的な顔つきの電車も多くいました。
300形309号。
貝塚駅の近くだったかと思います。

img543.jpg

貫通型で、腰板にシールドビームと尾灯を収めたケーシングにランプが設置されており、西鉄電車らしい顔つきになっています。
前面助士側の窓が開閉可能だったり、貫通扉に方向幕が設置されていたりと歴史を感じる車輌です。

同じ300形でも、こちらは非貫通で全く別の顔つきになっています。

img542.jpg


この編成は3両で組成されており、全て2両編成での運行となった際に廃車になっています。

そして、今も現役な313形です。

img541.jpg


猫のような可愛らしい顔つきですね。
日本初のモノコック構造の車体で、後に東急5000系や国鉄151系への開発データ寄与した隠れて名車です。末永く活躍してほしいものですね。

この時西鉄宮地岳線に乗ることは叶わず、未だに未乗のままです。
並行して走る鹿児島本線の車窓から眺めた西鉄宮地岳線は、小さな駅舎が細々あり、模型化したくなるような風景が続いていました。

部分廃止や高架化工事で大きく変貌しているでしょうが、次回九州へ行った際には訪れてみたい路線です。
  1. 2011/10/11(火) 10:36:19|
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力走DD51

磐越東線は、いわき〜郡山まで結ぶ85.6kmの路線です。
同じく郡山から分岐し、沿線に多数の観光地を抱える磐越西線に比べると地味な路線です。。。

母の実家が磐越東線沿線にあったこともあり、昔からよく乗りました。

磐越東線の沿線に住友セメントの田村工場があり、セメント輸送の為に貨物列車が多数運転されていました。

勾配のきつい路線で荷も重たいセメントだったこともあり、郡山運輸区のDD51が重連で運用され、昔は三重連も運用されていました。

いつしか撮影したいと思っていたのですが、なかなか撮影する機会が無く、1998年の秋に祖父母の家に行った際に、家の近くで撮影したカットが唯一の思い出です。

img017[1]


この頃は本数が少なくなっており、撮影出来るのは夕方の列車だけだったと思います。
夕闇迫る秋の夕方、f5.6のレンズでは露出ギリギリ・・・。
要田〜船引間にある文株トンネルの郡山方のカーブで押さえました。

力強く走るDD51は、今でも強く印象に残っています

黒い住友セメントのタキ1900や秩父セメントのホキ5700に混じって、明るい緑色のセメントターミナルのタキ1900も混じっており、編成に彩りを添えていました。

おそらく日本一知名度が低かったDD51の重連運用も、住友セメントの田村工場の縮小・閉鎖に伴って、撮影した翌年には単機運用、最後の数箇月はDE10の単機運用になってしまいました。。。

画像のDD51797はじめ、貨物牽引に活躍した機関車がJR貨物へ売却されて第二の人生を歩んだそうで、磐越東線ファンとしては嬉しい限りです。

この撮影をしていたとき、車で撮影に来ていた同業者(!?)に、「駅まで乗って行きます?」と声をかけてもらいました。

今から思えば、亡き祖父母とともにいい時代の思い出です。

  1. 2011/10/07(金) 15:53:36|
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石岡機関区

模型ネタに行き詰まると出してくる『古の日々』シリーズ・・・(^_^;

今回は、13年前の夏・1999年7月にタイムスリップ!!

着いた先は今は亡き鹿島鉄道・石岡機関区です。

img534.jpg

1992年に新製された最新型のKR-500型と、当時は盛業だった貨物輸送に活躍したDD13そっくりな自社発注機関車・DD902が体を休めていました。

その奥では、キハ432が出区の準備をしていました。

img532.jpg

鹿島鉄道には、加越能鉄道から移籍したキハ431・432の姉妹車の他に夕張鉄道から嫁いだキハ714も末期まで現役でおり、湘南顔気動車が多く在籍していました。

そんな気動車に乗りたいなぁ・・・なんて思いで乗り場に向かったのですが、やってきたのはのっぺりとした顔のキハ600型・・・(><)

img531.jpg

とはいえ、この車輌も機械式気動車・キハ07の生き残りで冷房化までされた気動車界の最長老。
この気動車の文句を言っていたなんて、贅沢な話だねぇ・・・。

キハ600に揺られながら見た、夕日の映える霞ヶ浦は実に美しかったなぁ。。。

そんな鹿島鉄道も2002年の貨物営業の廃止が引き金となり、2007年に全線廃止なってしまいました。
訪問した当時は、首都圏かもそれほど遠くなく、KR-500の導入や盛業だった貨物営業を考えると廃止のニュースにはビックリでした。

そして、後年になってキハ431・432のNゲージの量産品が販売され気軽に手元の置けるようになったのですから、さらにビックリ!!



イイ時代になったのか・・・・いや、やっぱり鉄道は走っていてナンボなんですよ。

そんなひと昔前に思いを馳せるgino-1でありました。
  1. 2011/10/07(金) 02:39:37|
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